取り返しのつかないこと

人生にも社会にも、取り返しのつかないことがたくさんある。

たとえば、「失恋」もそうだから、10代までに読んでおくべき名作を読みのがすと、これもまた人生で取り返しのつかないことの中に入る。

40歳を超えて『赤毛のアン』やら、『車輪の下』を初めて読むとなると、それなりの覚悟がいるのは、絶対に10代で読むべきタイミングを失ったからである。

横浜には、路面でけっこう目立つ店作りの「タトゥショップ」があって、若い女性が数人で待っているのをガラス越しに見かける。
おそらく、彼女たちも100%、将来取り返しのつかないことにおカネを投じたことを後悔するのだろう。

もし、後悔しないならそれはそれなりの人生だ、といえる。

もう20年近く前になるが、ベルギー旅行をしたとき、ブリュッセル中央駅の隣駅で乗り換え電車を待つことになった。
日本でいうと、東京駅の隣りである神田や有楽町程度の距離感であった。

降りたホームから別のホームに移動するのにいったん地下通路に降りるのだが、狭いホームに狭い階段でやたら混雑していて誰もエスカレーターを使わないで避けているのが後ろから見えた。

順番になってわかったのは、黄色と黒のテープで仕切られていて、どうしたらこうなるのかわからないほどに、エスカレーターがひしゃげたまま放置されていたのである。

止まった階段状のままだと、階段と同じように乗降する人がいてストッパーがはずれたら危険だからと、こうしてわざとねじれさせているのかもしれないが、そこからあふれ出る管理側の意思は、もう修理しません、としか思えないことであった。

日本人感覚としてせっかくだから珍しいので写真を撮ろうかと思ったが、人の波に押されて断念したことをおもいだす。

これがEUの首都の惨状なのであったけれども、当時は、国鉄だから赤字で修理予算がないのかと思い込んでいたが、いまの移民流入の惨状をみると、メンテナンス(技術職)の信頼できる人員がいなくなった、という意味だったかとおもわれる。

それが、ドーバー海峡を超えた英国はロンドンの水道にも現れて、効率が良かれと民営化したら、逆に破産寸前のとんでもない事態になったのである。
だが、こんなはなしは序の口で、地方都市の事実上の破産で、ゴミ収集すら2週間に1回となって、町は悪臭とゴミの山になった。

収集日を守らないひとたちが多数なのは、移民問題もからむ。

保守党がはじめた移民流入を、労働党が加速化し、その労働党執行部がEUと秘密に接近していたことが発覚し、スターマー不信任案が党内部から提出され、たった3票の差でスターマー氏の党首職が信任されたものの、支持率の低下はまったく止まらない事態になっている。

英国の『7つの階級』のうち、労働者階級が労働党に見切りをつけている。

これを喜ぶ保守党は、スターマー政権降ろしを画策しているが、こちらの支持率も振るわず、リフォームUKだけが爆上がりしている。
そんな中、ロンドンで記録的な大規模な移民反対デモがあって、おなじく対岸のオランダでは大規模な移民反対デモが暴徒化して警官隊と衝突している。

どこまで続く、ぬかるみぞ。

そんな混沌とした世界に、23日、トランプ大統領は、国連演説で吠えた。
エスカレーターが止まったのは、事前に英紙が伝えていた、国連予算を出さないトランプ政権2.0への国連職員からの嫌がらせがある、との情報通りのことがおきて、演説台のプロンプトまで「故障」したから、15分の割当を大幅オーバーして対抗していたのが「さすが」なのである。

トランプ政権2.0は、本当に国連からの脱退を実施するのだろうか?
事務総長は、エスカレーターを止めたりした職員を処分するのか?も、注目されるが、マスコミは無視するのだろう。

バブルを頂点に、「人に優しい政治」が全国の公共の場にエレベーターとエスカレーターを設置したのはいいけれど、果たしてこれらのメンテにかかる経費と人員の手配は大丈夫なのだろうか?と心配する。

国土交通省を牛耳る公明党の掲げるスローガンに「ヒューマニズムの政治」という、極左思想の表明があって、それでも共産党と対峙していたことをおもいだす。
この点で、『巨人の星』の主人公、星飛雄馬命名の思想が怪しくなって、わたしは梶原一騎を信用しなくなったヘンな子供であった。

「ヒューマニズム」は、『人間不平等起源論』『エミール』の著者で、極度な精神分裂症と家永三郎をしていわしめた、ジャン・ジャック・ルソーの思想へ直結する、危険思想なのである。

法律にある保守基準が、実質的に維持できないとなったなら、いまの政権の発想では、放置するか法を改悪するかの手段がとられて、よしんば事故が起きたときには、責任者が不在という準備をするにちがいないのである。

この劣化は、昭和の時代にはかんがえも及ばないことではあるが、令和の時代ならふつうになりそうだ。

それもこれも、取り返しがつかないことに対する、人間感覚の鈍化が原因で、およそ被害者が他人だからまったく痛みを感じない、という「個」化=アトム化の結果なのである。

20世紀を代表した女性哲学者のひとり、ハンナ・アレントが残した、『全体主義の起源』には、ユダヤ人であるアレント本人が受けたナチスからの弾圧の体験から、アトム化がついには個になった人間をして、全体主義へと向かわせるメカニズムについて詳細な種あかしをしていることに驚嘆する。

いま、われわれは、あり得ないと思い込んでいる全体主義世界の入り口に立っているのだ。

これこそが、社会的な取り返しのつかないこと、なのである。

この意味で、共産化した自民党は、「捨て身」をもってしてでも全体主義へ突入させたい、という意志を感じる。

われわれは、自民党(「自・公・立憲共産・れいわ」政権の社会主義)を棄てるべきときがやってきているのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください