問題作『チ。』の問題

正確な原題は、魚豊(うおと)著のコミック『チ。 地球の運動について』(全8巻)のことで、「天動説」対「地動説」を巡る、中世キリスト教会が仕切るヨーロッパ社会の闇をクローズアップさせた問題作である。

そこで、この作品が提起する「問題」を、浅はかにも「解題」しようと試みてみたら、さまざまな問題にぶつかってしまい、なかなかに「結論」を得るのが難しいとわかるので書いておく。

そもそも、日本人とヨーロッパ人とは、あからさまな交流が歴史上「なかった」ために、あまりにも「育ち」がちがう。
これを、食文化とか農業上の気候や土地(土壌)とかの制約で、まったくちがう「文化」を形成したと明らかにしたのが『肉食の思想』であった。

対して、ヨーロッパから日本をみたときに、レヴィ・ストロースエマニュエル・トッドがいう、「家族」構成のちがいも重要な「区分」を可能としている。

さらに、日本の場合、縄文時代の記憶が無意識の民族の記憶になっていて、そこにある宇宙観は、まず太陽と月からなっていた。
太陽の神、アマテラスと、正体が不明のツクヨミとの関係は、明治5年までの「太陽太陰暦」として、日本人全員の生活を支配していたのである。

しかるに、その明治政府は、「欧化策=文明開化」の名目で、伝統的で習慣的な文化破壊を試みた。
「廃仏毀釈」もそれの典型であったし、キリスト教的な一神教ゆえの「自由経済」のために、「四民平等」を推進した。

このとき、「四民平等」の揺るぎない「平等」を達成するための「大権威」として、キリスト教でいう「三位一体の神」に代わって、日本では「現人神」を発明するに至ったのである。

ニーチェが100年前にとなえた「アンチキリスト」の預言通り、ヨーロッパにおけるキリスト教の絶望的衰退(『チ。』にある自爆)によって、「自由経済」の基盤が破戒され、科学万能主義から科学をあやつる上級者と、科学に従う下級者に社会を分断し、とうとうそれが「所得」になってあたらしい「身分制」をつくりだしている。

だが、ヨーロッパの人間は、ニーチェが示した「超人」とはならなかった。

このキリスト教の崩壊は、とうとうアメリカにも波及して、アメリカ社会の分断を押し進めている。
あたかも、アメリカで社会主義勢力が民主党内部で台頭しているようにみえるのは、「科学」をまだ信じているからだし、そうやって子供が公教育で洗脳されているのである。

こうした点をふまえると、GHQがやった「天皇の人間宣言」が、明治新政府が築いた日本社会の破壊しか目的にしていないことがわかる。
だが、日本人の無意識にある縄文の記憶が、運良くアメリカによるソ連への対抗手段としての日本経済発展に結合して、先進国にさせられた、のだった。

そこで、はなしをヨーロッパに戻すと、プロテスタントのドイツでナチスや、カソリックのイタリアでのファシズム、あるいはロシア正教会があるのにスターリンの全体主義が台頭したのは何故か?という問題に突き当たる。

これを丁寧に分析したのが、ハンナ・アーレントの主著『全体主義の起源』であるし、その例解としての『エルサレムのアイヒマン』であった。

さてそれで、『チ。』の舞台は、「異端審問官」がいる中世キリスト教社会である。

わたしは、記号論の権威、ウンベルト・エーコ教授が書いた世界的バストセラー小説『薔薇の名前』を想起する。
主人公の修道士は、『煩悩☆西遊記』の三蔵法師のような煩悩に生涯にわたってさいなまれるのだが、舞台当時、宗教としての権威がキリスト教会にまだあったことを示している。

しかして、この物語での「薔薇」は、あたかも原人のような「もの」で、日本人がしっているヨーロッパ人とはかけ離れている。
これぞ、ワーグナーの『ニーベルングの指環』における野人なのであるし、これらのひとびとが「農奴(serf)」であった。

なんにせよ、ギリシアを起源とするなら、なぜにソクラテスは死んだのか?にはじまる、「智」を断罪する歴史がある。

だから、『チ。』の「チ」とは、「智」=「知性」のことであろうし、現代の「反知性主義」との対峙もしっかり描かれている。

そして、現場でこれを裁くのは、アイヒマンのタイプ=悪の陳腐さ、あるいは凡庸さそのものの人間による。

しかし、一般に、人間とはふつうは凡庸な生き物なので、だれでもアイヒマンタイプにあたるのである。

これをどのように回避するのか?

ヨーロッパでは、シューペンハウアーの『幸福論』における「孤独」が、日本では、空海の「孤独」が、なぜだか一致点を見出しているのである。

なお、かくも酷い拷問と魔女狩りに明け暮れたキリスト教会の野蛮さが、とうとう「神は死んだ」こととなって、今度は「科学万能」によって、人間が酷い目にあっている。

この世に中庸がないのが、問題なのである。

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