前回の続きである。
「街中華」がはやっている。
個人商店がおおむね苦戦を強いられる時代になったのは、いまでは人為の計画的であった疑いが濃い「コロナ禍」が最大の試練だったろう。
モノを販売する「お店」としては、「大店法の規制緩和」が大きかった。
これで、街の中心部にあった「商店街」が著しく衰退の憂き目を見ながらいまに至っている。
一方で、「利便性」という側面では、圧倒的に「大店」がまさるから、消費者にとってのメリットは「大店」に軍配があがる。
とはいえ、「商店街」を放置していいのか?という議論になると、急にノスタルジックな議論となって、埒があかないのである。
それで、責任を取りたくない行政は、かつての店舗を「商業用不動産」として優遇税制の中に置いたままにするので、全国にシャッター街を生産するという結果が生まれている。
こうした商店街のなかや、周辺の住宅地に点在したのが、おなじく個人商としての飲食店で、日本そば・うどん、寿司、中華料理が3大ジャンルとなっている。
そもそも自家用車の普及がなかった時代、徒歩圏やせいぜい自転車で移動した「生活圏」にあった店たちなので、はなから「地元密着」になる当然がある。
いま世間を賑わしている「米」だって、むかしは町内に一軒必ず「米屋」があったのは、「食糧管理」の都合上からの強制でもあったし、新規開業を許可しない方式での「権利」であった。
なので、スーパーで買えるようになったら途端に絶滅危惧種になったのともちがう「地域密着」なのだ。
この「米屋」とおなじ分類にあたるのが、「たばこ屋」と「酒屋」で、「権利」を台頭するコンビニに売ったのである。
そんなわけで、「自由営業」の分野に、「街中華」もはいる。
神奈川県相模原市の住宅街に、街中華の名店がある。
創業者の父は「広東料理」、息子は横浜中華街で修行した「四川料理」の父子鷹である。
JR相模線の最寄りの駅からは徒歩で15分ほど、接地する道路にはバスも走るが、1時間に一本程度というアクセスの悪さも特徴なのである。
よって、ほぼ「地元密着」でしかない。
だが、それがまた「味」を出している。
とにかく、観光客がフラっと入店するような場所柄ではないのである。
それでいて、開業から半世紀近くも営業できてきたのは、まさに「名店」にふさわしい。
いまどき、こんな店もある。
それで、片道2時間半ほどをかけても通っているのは、その居心地の良さと気の利かせかたが、まったくもって「むかしながら」だからである。
近所にこういう店がほしい、というのは、いまどきの奇跡的存在だからでもある。
わが家では、この店への道中を含めて「観光化」しているが、まったく他に観光客をみないのも価値があるのである。
しかしながら、店主たちからしたら、ふつうのことを続けてきた、だけなので、なにが特別かをぜんぜん意識していない。
ここに、ガラパゴス的な隔絶がある。
あえて書けば、この店の客は、ほぼ全員が「目的客」なのである。
周辺に他の飲食店がないので、もしも満席なら待つしかない。
「臨時休業」のがっかりをする可能性も高い。
わが家は、「本日貸し切り」という肩透かしを食らって、途方に暮れたこともある。
しかして、全国にはこのような店がたんとあるだろう。
知らぬは「よそ者=観光客」ばかりなのである。
なので、観光地を歩く場合でもなるたけ「地元密着店」はどこか?を意識して歩くのである。
そのために、路地や路地裏に気をつけるし、古びた店構えを発見するとがぜん興味がわくのである。
むかしは、「酒屋」が情報源だった。
町内の飲食店に飲料を提供するから、店の内部事情に詳しかったのである。
ビールなどを買いに立ち寄って、店主お薦め店を聞き出すことはヒット率を高めた。
ネット社会のいま、残念だが「グルメ情報」サイトはほとんど役に立たない。
申し訳ないが、投降者の感性レベルが低いのである。
たんなるノイズになるので、わたしはほとんどチェックしない。
そのために、自分の感性が頼りとなるスリリングさが、またひとつの「味」となる観光をするばかりなのである。
気がつけば、「観光ガイド」とは、効率的(=時短)に観光地をまわるのには意味があるが、非効率からうまれる「発見」を期待することはできない。
すると、「地元密着店」を発掘することは、非効率こその効果なのである。
だからそれが難易度が高いのは、今どきの「なんでも合理的」との反対があってのことなので、意識しないと行動にならないからである。
つまり、偶然を求める旅や観光ではなく、確実性の方が優先されているから、きまった店だけによそ者の客が殺到することになったのである。
なにもかんがえないですむマニュアル的な生き方の象徴がここにある。