地殻変動のフジテレビ問題

テレビを観ないので、「フジテレビ問題」などは、個人的にはどうでもいい話である。

しかし、絶対安定・安泰のはずの「テレビ業界」に地殻変動が起きていることは、意外と重大事なので書いておく。

なぜに「テレビ業界」が、絶対安定・安泰のはずなのか?といえば、プロパガンダ装置として、「政府と一体」の存在だからである。
つまり、「政府」という存在が絶対安定・安泰だという、地殻、そのものが揺らぎだした現象といえるから国民には重大事なのである。

写真が誕生する前の長い時間、人類は「文字」と「絵」でしか対象物を表現できなかった。

その写真をパラパラと何枚もめくると、目の錯覚によって対象物があたかも動いてみえるので、これから「活動写真」へと進化し、音を記録する「録音技術」の発明で、はじめて「画像」と「音声」が融合し、「映画」ができ、この情報を電波に乗せて送・受信する「テレビジョン」が完成した。

日本は文化先進国だったので、街道筋につくった「文字」だけの「高札場」が、壁新聞のような効果で、政府の法令がみれば分かるように発布されていたのである。

つまり、「高札場」は、一般人が字が読めることを前提としている。

これがどれほどの「ハイレベル」かは、文明国からやって来たはずの欧米人が驚愕したことでもわかるのである。

ところが、人間は「退化」することもある。

それは、便利さとの交換(トレードオフ)になるために、国民の多数をコントロールしたい政府は、なにがなんでも映画やラジオ・テレビを利用する。
そのために馴らさせ、果ては視聴行動を習慣化させるために、「エンターテインメント」をもって国民の警戒心を解くのである。

それでもって、情報発信の独占体としてのテレビ(局)を構築した。
これら一連を、「(情報)認知戦」という。
戦を仕掛けるのが政府であって、仕掛けられるのが国民となっている。

その媒体が、放送局、という構図であるし、わが国にはその裏にまた、巨大広告代理店、がある。

ところが、忽然として「X」が登場し、政府の情報統制を破っただけでなく、トランプ政権2.0による、政府からの検閲を禁止する大統領令で、ラジオ・テレビの欺瞞がいよいよ一般人に姿をあらわにしだしたのである。

圧倒的支持を得た共和党トランプ派を推すひとたちの既存メディアへの信頼度は地に堕ちて、だれも視聴しなくなり、既存メディアそのものの経営が危機にさらされて、よくやくロサンゼルスタイムスに至っては、極左編集部員全員をオーナーが解雇するまでになったし、ワシントン・ポスト紙はアマゾンの創業者に買収された。

こうしたことの余波が、敗戦以来の植民地となった日本にもやってきたのである。

しかし、突然の「中居くん引退発表」で、わが国は「J事務所」に次いで二度目のおなじパターンによる幕引きを図っているが、どうもそうはいかない状況なのは、「地殻変動」の情勢が1年もしないで急激に変化しているからである。

さて本件については、苫米地英人氏が詳細解説している。

「X」とかのSNSとテレビの議論に混乱が生じる原因は、放送局には、「編集権」があることが原因だ。
逆に、アメリカでは「X」などのSNSサイト運営者に、「編集権」を放棄させることでの「免責」を与えたことの区別なのだ。

苫米地英人氏が、上の動画で指摘した、テレビ局の「編集」には、番組外でのタレントとの打ち合わせも含まれ、その行為の延長に「中居くん事件」がある、ということなのである。

だから、こうした構造的な事象そのものが、電波法と放送法に抵触する、という議論である。

一方で、日本政府がやろうとしている「X」に対する検閲は、アメリカにある「免責」についての重大な違反を、政府が自分からやるといっていることにある。
トランプ大統領は、これを大統領令をもって禁止したのを、日本政府は逆に推進しているのである。

また、ザッカーバーグ氏は、就任前のトランプ大統領に、自社が運営する「Facebook」やら「Instagram」などでの検閲を中止し、「X」同様の「パブリックコメント式」による閲覧者への注意喚起とすることを表明しているから、もはや「アンチ・検閲」は世界潮流になっている。

そこで、テレビなどの「編集媒体」が、疑いの目で注目されるのは当然なのだ。

ようは、「未編集媒体:XやFacebook、ポッドキャスト」、対、「編集媒体:テレビ、ラジオ、新聞」という構図となって、未編集媒体による編集における曝露がさかんになることを意味している。

裏をかえせば、「国民言論」対「政府の言論統制」という構図になっていることなので、いまや日本政府が追い詰められてきている。

それが、総務省の「停波しない」という見解であって、これすら、対象がフジテレビを特定して想定しているのではなく、「前例」ができることでの全局が対象となることの官僚的発想から生じる予防の論理なのである。

あたかも、統一教会に課税するとしたときの、既存宗教団体が一斉反発したごとくである。

だが、政府のこうした態度は、より広く深く、テレビ局業界そのものへの不信を増長させる。
たとえば、民主党バイデン政権が徹底的に政府を武器化して、トランプ氏を狙い撃ちした訴訟を繰り返すたびに、トランプ氏への支持率が上昇したごとくである。

いまや、このパターンに「自・公・立憲」政権ははまり込んでいるのだが、それこそが、アメリカ民主党とおなじ思考をしている証拠の披露にもなっているのである。

おそらく、TBSも、日本テレビも無事ではすまない。
残るのは、地方のテレビ局だけになるかもしれない。

「停波」などしなくとも、もはやテレビは自然に滅亡するしかないのである。

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