夏のカジュアルは、「縮みの作務衣」で決定

暑い。

だから、地球温暖化をいいたいのではない。
わたしが20代にいた、エジプトは、世界の天気予報をみてもあんがいとむかしのままなのである。

だいたい、カイロは日中気温が35度ほどであった。
ナイル川の蒸発があるので、それなりにジメつくこともあるけれど、長い盛夏の時期には、手絞りのジーンズの洗濯物が2時間でパリパリになったものである。

もちろん、砂漠に行けば予想通りの灼熱だが、予想外の乾燥によって塩分不足からの熱中症を引き起こす。
腕などの肌がザラつくのは、砂の付着によるものではなく、発汗したら即座に蒸発する汗の「塩」なのである。

よって、アラブ人の衣装は、上衣は長袖、ズボンならゆったりしたもので、民族衣装の「ガラべーヤ」とは男性用の綿のワンピース(エジプト綿が最高)のことで、風通しはいいが太陽光を遮るようにできている。

いま、わが国の気温は、北緯30度に位置するカイロよりも暑い(東京は北緯35度)ので、地球温暖化ではなくて、「日本温暖化(ヒートアイランド)」というべきか。

けれども、カイロよりずっと湿気があるいまの日本の夏は、ずっと不快で過酷なのである。
ちなみに、アラブ湾岸地域の湿度は90%もあるので、不快感はさらに高いが、無料の石油をガンガン焚いてエアコンの電気にしている。

石油を使っていなかった江戸時代でも、それなりに夏は暑かったし、湿度もあった。
なので、庭先やらに「たらい」を出して、行水を楽しんでいた。

この時代まで、温泉地もふつうに「男女混浴」だったし、そもそも江戸の長屋は火事を予測しての「安普請」が常識だったから、隣家との壁はあってないようなものだ。

つまるところ、音は漏れ放題だった。

それに、娘の月のものでは、赤い腰巻きを何枚も洗濯して板に貼り付けて乾かすから、子供でもそんな路地を通る時には顔を赤らめたという。

ようは、いまでいう「プライバシー」なんてものはどこにもなかったのであるけれど、はなからないので、だれも気にしないで暮らしていた。
逆に、気にしたら暮らせない。

文明開花の明治になって、欧米人から「混浴が野蛮」だと評価されるのを恐れて、男女に分けたが、いまとなってはそれでも性犯罪が起きない日本人の倫理観は外国人より高かったことがわかる。

あるいは、体は男だが心は女だとして、銭湯の女湯に入りたがるような者は、江戸時代なら長屋の暮らしから追い出されたことだろう。
もっとも、混浴だから、そもそも事件にならないけれど。

さてそれで、作務衣である。
「甚兵衛」とのちがいは、「袖や裾」の長さで、半袖、短パンが「甚兵衛」、どちらも長いものが「作務衣」だ。

縫製は和服を基本とするので、洋服のように立体裁断されていない。
しかしそれが、あたかもガラベーヤのようなゆとりの空間を作るので、基本的に作業着なのにゆったりした着心地なのである。

生地は様々で、デニム製もあるけれど、夏場の通気性を優先させたら、「縮み」がもっとも適している。

国の伝統的工芸品になっている、「小千谷縮み」は、もちろん最高峰であり最高級である。

『水戸黄門』のお忍び名、「越後のちりめん問屋の隠居、みつえもん」のちりめんをいう。
この「シャリっとした着心地」のことは、そのまま「シャリ感」という。
綿の他に、麻をつかうことで、より強くシャリ感を出す生地もある。

肌に直接触れると、なんともいえなく心地よい「肌触り」で、それだけで涼しいが、たんまり風が通るのを感じることができるのは、この素材の一大特徴だろう。

とはいえ、普段着でカジュアルに、を優先させるなら、近江の「高島縮み」や九州・福岡県の「久留米縮み」それから、「遠州織り」(浜松と磐田が綿花の産地だった)で十分満足だ。

さいきんでは、ズボンだけの販売、もある。
また、基本的に化繊ではなく天然繊維を使っているので、あとから染めなおしもできる。

とにかく風通しの良さは着用すればよくわかる。

冷房が効く屋内なら、全身に冷気が通過するのを感じるし、街を歩いていても風が通り抜けていく。

これを発明した先人たちの知恵を、現代で味あわないのは損なのではないか?

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