女々しい恐怖を利用する商売

日本人は元来女々しい(正規には「女性」という)のだという民族特性は、「米を食らう」ことでの決定であったと、前に欧米人の「肉食」を引用して書いた。

この話の初出・出典は、会田雄次の目から鱗が落ちるにして名著、『アーロン収容所−西欧ヒューマニズムの限界』(中公新書、1962年)である。
いまでは絶滅危惧種となった、「(正統)保守派」の論客の一人であった。

高校生向けの参考書コーナーで、「各大学の教授と業績」に関する情報を見たことがないから、高校生はいったいなにをもって「志望校」を決めているのか?といえば、おそらく「偏差値」をもとにした、「入れる限界」を目指しているだけだと推察する。

それで、入学してからおもむろに「ゼミ」の教室を選んで、それがそのまま「恩師選び」という構図になっているのではないか?

つまるところ、なにを学びたくて、だからこの大学で、この教授なのだ、という落とし込みがまったくないのである。
その前提に、みな同じという無機的な思想があって、ちがうのは偏差値だけなのである。

では偏差値の高い大学は、よほど高度な授業をやっているかといえば、そうでもない。
むしろ、易しくわかり易い工夫がされている可能性が高く、ために、理解度が上がるということになるのだとおもわれる。

ときに、『ドラゴン桜』とか、『ビリギャル』のように、偏差値30から難関校に合格するレベルに1年足らずで実現するのは、ようはその程度のコップの中のちがいでしかないことを表している。

そんなわけで、無機質な知識がどれほどあるのか?を測定するのが「受験」になっているので、生徒の方が教師よりもはるかにクールで無機質であるから、専門学問分野の常識にそのままなんの疑念もなく染まる、という現象が発生するのは当然である。

この現象の逆をいくのが、いまどきの「専門学校」だと前に書いた。

大学ではこんな程度のことが毎年繰り返されて、半世紀以上の月日が経過すると、専門学問分野そのものが無機質化して、固定される。

これが、現在も絶えることなく、さらに強化されている「権威主義=象牙の塔」の正体なのである。

そして、偏差値で他校を圧倒する東京大学が、権威の巨塔に変換されて、各学問分野における筆頭教授が、そのまま学会の筆頭となり、異論を許さない全体主義が完成する。

すると、社会という外部からの攻撃に関しての防御が徐々に過剰になるのは、こうした権威を背負う一人のトップを守るための「忠義の行動」に変化するので、組織をあげて強力な過剰防衛をすることにためらいがなくなるのだ。

まったく、会田雄次がいう、日本陸軍の姿がそこにある。

よって、社会は損失を被ることになるが、これらの者のひとりとして責任を負うものはおらず、むしろそんな損失は大したことではないという、後付けの論理を考案して、鉄壁なる組織防衛への貢献をもって序列が決まる「犬の習性」そのものの共産党のような事態となる。

これが、わが国の東大が仕切る、「○○学会」という反社ともいえるような組織とその行動様式の原理なのである。

さらに、同じ大学の文系をでた政府の官僚たちは、無責任という行動様式が等しく刷り込まれているために、このような学会への補助金を「必要」として惜しむことなく投入し、強力な広報(プロパガンダ)をして、国民を恐怖におとしめれば、そんな補助金の無駄をいうものをも排除できることをしっている。

たとえば、大地震がくる「かも」と強力に情報操作して、結局はなにもなくても、なくてよかった、というだけの「保険」だと認定させればいいのだ。

ちなみに、わが国の国家機関が集中する霞ヶ関の官庁街で、どれひとつの建物も「火災保険」にすら加入していない。

どうせ「必要」だから、もしも倒壊しても建て替えるだけのことだからである。

すると、脅されて、真夏の稼ぎどきに海水浴場を閉鎖した南紀白浜の「5億円」の損害補償を後から国に請求する根性は、果たして二階氏の権力に頼っているのかなんなのか?が不明の、まさに12歳以下の知能レベルだといえる。

これが、ちょっとしたことだけの学会の女々しい自己防衛から今後も頻発して、全国に拡大すれば、誰がその損を補填するのか?という、巨大な乞食化した各地の観光協会などが国家予算を襲うことになる。

これを国民が「安全」のための負担だとして許すなら、いったいどこまでの税負担を許容するのかの議論になるが、そんな負担をするつもりははなからないのが女々しい国民なので、愚民国家の行き詰まりは行き着くところまで行くしかないが、それがまた全体主義ともなれば。半永久的に「檻の中の生活」を強いられるのはまちがいない。

不幸にも、ヨーロッパ最貧のモルドバが、女性大統領をして、EUへの憧れをやめないのは、「檻の中」にいすぎて、見倣うべき基準すらわからなくなったからで、隣国のウクライナと一緒に、EU・NATO(戦争屋)の餌食になるべく「飛んで火に入る夏の虫」のような行動する危険がある。

わたしはどうしてこんな女々しい愚民と同じ空気を吸っているのか、わからなくなってきている今日この頃なのである。

はたして、自民党総裁選において、ただのひとりも「ワクチン接種中止」をいわない。

マスコミは、この話題をいっさい投げかけもしないで、外国の製薬会社の利益のために、国民の生身を差し出して平然としていられるのも、東大の医学・薬学のボスたちが、推進することだからである。

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