「四書五経」の四書の最後にあるのが『孟子』である。
残りはちなみに「読む順番」として、『論語』、『大学』、『中庸』であり、五教は、『易経』、『書経』、『詩経』、『礼記』、『春秋』の順をいう。
教科書では、孟子は「性善説」に立つとして暗記させられるが、むかしの大陸の諸家は、日本人が「孟子」をしらないのは、伝えるために船に乗せても嵐(神風)で日本に伝播しないと評されていたとか。
この理由に、日本で決して「易姓革命」が起きないからとされていたという。
彼の大陸における王朝の変更は、必ず「易姓革命」であって、その正統性を論理で示したのが孟子の「湯武(とうぶ)放伐(ほうばつ)論」であった。
しかしてこの話は、大陸側が古来わが国の動静についてレポートして残していることが面白い。
あの『魏志倭人伝』も、そうして見ると、「気になる存在」だったのか?
さて、ここで出てくる「湯」とは、殷王朝の「湯王」のことで、「武」とは、周王朝の「武王」のことである。
湯王は、殷の前の「夏」王朝の桀王を、武王は、周の前の「殷」王朝の紂王をそれぞれ放逐して新王朝を建てた。
ようは「下剋上」であるし、もっといえば「主君殺し」である。
孟子はときの王に、この痛いところを突かれる質問を受けて答えて曰く、
「仁の徳を破壊する人を賊といいますし、正義を破壊する人を残と申します。残・賊の罪を犯した人はもはや君主ではなく、一夫つまりたんなるひとりの民となってしまいます。私は、武王が一夫の紂を討ち殺したと聞いていますが、君主である紂を殺したてまつったとは聞いておりません」(山本七平『日本的革命の哲学』)
孟子をどのように読むか?は、あんがいと変転がある。
徳川家康は孟子好きだったらしいが、それは、豊臣(王朝)を滅亡させたことの正当化でもあったはずで、幕藩体制が安定化すると孟子の扱いは低調になる。
それがまた、幕末には復活するのだが、幕府を滅亡させた薩長は、これを「易姓革命」とせず、「維新」と表現した政治センスは、日本人の特性を熟知していたからだとかんがえることができる。
そこに、松下村塾の吉田松陰の影響があるのは確かだろう。
孟子は、支配者における「仁」「義」特に、「仁」の喪失はどのような形に表れてくるのかについても語っている。
これぞ、現代の自公政権そのもので、まったく道徳がない者どもは滅ぼしてよい「湯武放伐論」が正当化される時代に堕ちている。
アメリカ合衆国憲法の修正第2条には、「武装権」が明記されているし、各州にも同じ定めがある。
政府が人民に「仁政」をなさなくなったとき、アメリカ人は武器をとってそんな政府なら倒してもよい。
なので、規律ある民兵の必要性が担保されていて、個人は武器を所持することが許されているのである。
ときに、民主国家の「憲法」とは、国民から国家・政府への命令書だから、このような条項があっても不思議ではない。
「仁政」を忘れた自公政権の憲法案にあるのは、彼らが支配者としての憲法を定めたい一心の内容だから、まったく話にならないのである。
それに、いまある憲法すら遵守する気がないのだ。
トランプ政権と「関税交渉」をするという愚かさに邁進するのは、戦前の比ではない。
この政権の戦略目標を無視した「交渉」はありえない。
自公のトップがそれぞれ、解体対象の中共と一蓮托生であることを示す訪中行動をとるのは、一体どんな了見なのか?
お仕置きしてください、という祈りにも似たことが、トランプ政権に向かっている。