宿泊業が宿泊税に反対しないのはなぜか?

答は、私には(理解)不明である。

2日、「トランプ関税(率)」が発表されて、世界はアメリカの関税戦争に巻き込まれた、ということになっている。

しかし、トランプ氏のこれまでの行動パターンから、先にぶち上げてから交渉するという順になっていることに気づくと、骨髄反応を示したらかえって負けなのだ。
じっさいに、翌3日には、「仮に他国・地域が何か「驚くべき」ものを提示することができれば、関税引き下げにオープンであると語った」とブルーグバーグが報じている。

ほらね。

しかして、わが国にとって問題なのは、1月20日の大統領就任演説にあった、ヨーロッパを意識した付加価値税VATへの批判でわかるように、同じ構造の「消費税」が関税障壁だということをわざと報じないから、大手メディアは悪質なのである。

これも日本政府からの要請があってのことなのか?

つまり、わが国に課すとした「24%」には、「10%」の消費税分が含まれているので、実質的に「14%」だが、いまが「2%」程度なので、真水の増分は「12%」なのである。

国民を騙したい日本政府は、「24%」が多いのなんだと文句をいっているように見せかけているが、輸出企業の組合団体たる財界(経団連)と損得の協議中なのだろう。

さて、「輸出」とはなにか?を問えば、自国製品やらサービスを外国に販売することだ。

だから、いわゆる「インバンド」で来日する外国人観光客が日本国内で消費する分は「輸出」と見なすことができる。
外国人は、かならず自国通貨を「円」に交換して消費するからである。

すると、トランプ大統領が、アメリカ連邦税制にない付加価値税や消費税を関税障壁だと認定したごとく、おなじ「宿泊税」はどう見えるのか?という問題に突き当たる。

ここで、重要なのは、「憲法」なのだ。

アメリカは、世界ではじめて「成文の自主憲法」を制定して建国した。
日本人は、「アメリカ独立宣言」をしっているが、なぜか「アメリカ合衆国憲法」をしらないようにされている。

高らかに理想を語る「独立宣言」とちがって、より具体的な合衆国憲法との間には意外なほどの断絶がある。
これを埋めるために、「修正条項」が付加されているので、「社会派ドラマ」に頻出する、「修正◯条」というセリフも、日本人にはググらないとすぐに理解できないのである。

その日本人には、「明治憲法(大日本国憲法)」を改正したことにした「日本国憲法」も自分たちで制定したという「想い」も「感覚」もないので、一般法とおなじだが「最高法規」として格がちがうだけとかんがえている。

それが、自民党の憲法改正案に如実に表れていて、「基本的人権の削除」がその最たる例になっている。
国の最高法規だから、最高に国民を支配する道具としているのが自民党の発想なのである。

しかし、近代民主国家の憲法とは、「主権在民」が基本だから、国民から国家・政府への命令書が憲法なのであって、だから、主権在民なのである。
よって、国民の諸権利の中にある「財産権」を侵蝕する「税制」も、基本的には「憲法違反」と解釈されるのが、アメリカ共和党トランプ派の主張にあるのだ。

それで、外国からの関税を中心に置き換えて、内国からの所得税を廃止しようとしている。

すると、外国人からあまねく徴収する「宿泊税」は、外国人からの徴収とするだけなら、トランプ関税とおなじ趣旨といえるけれど、日本国民からもあまねく徴収するとなると、国民の財産権への侵害となる。

とにかく、「税は罰金」なのだ、という観点が、「租・庸・調」の時代から馴らされている日本人には希薄だという、奴隷に近い感覚がある。
小学生のときから疑問なのだが、中央に兵力がない律令制度の時代に、日本人はどれほどの脱税をしていたのだろうか?がわからないのである。

従順な羊のように、ほんとうに「租・庸・調」のどれにも抵抗なく応じたのか?
「防人の歌」はあっても、抵抗した形跡をだれからも教えてもらってはいないので、やっぱり無抵抗だったのか?

なんにせよ、とかく「税」の話は、なぜか「徴収する側=官」の理屈が優先的に解説されて、「徴収される側=民」を説得するばかりで、取られる側の財布についての議論はいつも二の次なのだ。

消費税も宿泊税も、なんなのか?といえば、それぞれに「目的税」としての意味づけはされているが、その通りになっていないのは受領したら「官が勝手に使う」だけだからである。
このことを、トランプ政権2.0がDOGEを用いて証明してみせたし、アルゼンチンのミレイ大統領が先行的に実績をだしている。

これには、「決算」が証拠になるが、国であろうが地方であろうが議会の「決算委員会」なるものが機能していると信じる日本国民はいないだろう。
そもそも、行政が「のり弁」のように真っ黒けの消し込みをした書類をもって、「情報公開条例に基づく情報公開文書」とうそぶいても首長や役人に処罰も何もない国なのである。

この点で、地方検察庁も死んでいる。

宿泊税の話に絞ると、料金=価格の「外にある」のが宿泊税だというのも、徴収する側=官の論理だ。
もちろん、宿泊税は消費税とかぶらない設計になっているので、かぶるのに何もしないガソリン税とはちがうから、ガソリン税の二重課税は余計に意図的なのだとわかる。

徴収される側=民からしたら、「宿泊料金」とは、宿泊料(日本だと「サービス料」含む)+消費税(国と地方)+宿泊税(課税を決議した特定の地方での定額)の合計なのだ。
なお、宿泊先が温泉宿ならば、これに「定額の入湯税」も加算される。

つまり、宿泊予定者は、実質負担する宿泊予算をかんがえるときに、「総額」で計算するものだ。
なんだか特殊浴場と似ているが、「料金」とはそういうものである。

すると、総額予算にある「税」は、宿泊施設が本来設定できる「価格増分」とイコールになるので、宿泊施設経営者からしたらこの「増分」が利益の圧迫になるのである。
これは、従業員にも由々しき問題で、人件費が利益分配だとかんがえたら、徴収する側=官に、自身のあるべき所得を横取りされたこととなる。

このことは、付加価値税としての消費税の論議にならない不思議もある。
従業員の人件費は、「付加価値」に含まれるので、なんと消費税の対象なのであるにもかかわらず、なのだ。
これが、正規社員が非正規よりも企業に負担が重いことの原因のひとつになっている。

ちなみに、野党第一党がいいだした、「食料品への消費減税」は、飲食業への消費税負担が「増える」のだが、こんなことも飲食店経営者に認識されていないという「悲劇」も、消費税とは、消費者が負担する税であるとのプロパガンダに成功している証拠となっている。

何度も書くが、消費税とは付加価値税なのである。

現状、インボイス制での仕入れで、飲食店は食品原価分の消費税は課税されないが、これが付加価値「扱い」に転じる仕組みとなっている。
だから飲食店にとっては、「増税」になるのである。

よって、飲食店の従業員への賃金にも下げ圧力として影響する。
これを、労組が支える野党の主張なのだから、いったいどういうことなのか?

さらに日本では、「サービス料」も売り上げる慣習があるので、戦前には欧米同様にあった習慣のチップ収入をなくした従業員には、二重の意味であるべき所得を失っているともいえる。

大手は「別」だとあえていいたいが、宿泊業の産業的目線からの分類は、「労働集約的」でありながら「資本集約的」であるという、いがいと他産業にはない特徴がある。
似た分野に、医療・介護業界があるのは、「Hospice」を同一語源とすることによる。

ここで、問題になるのが「減価償却」なのである。

損益計算(書)が役に立たないのは、何度か書いてきているが、「減価償却」を「積立金」としている中小宿泊業の経営者は皆無ではないか?
ために、温泉宿なら、商品の要である「大浴場」の給湯設備に対する、壊れたら対処、という習慣で、とうとう対処できないままの状態になることでわかる。

もちろん、建物の建て替えともなると、お手上げ、なのは、減価償却分を積み立てることをしないで「儲けとして」食ってしまったからである。

「資本集約的」なのに、資本の源泉にあたる減価償却を「現金の利益」として扱うので、全国に廃墟の宿を量産したのが業界標準の経営なのである。

こうした点から、徴収する側=官に利益をかすめ取られることにも気づかない。

これが、不明の中でわたしがかんがえる、宿泊業が宿泊税に反対しない理由のひとつの仮説である。

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