28日、沖縄県の、「沖縄ツーリズム産業団体協議会」が、宿泊税導入の「陳情書」を出したとの怪ニュースがあった。
突如、残暑の中で背筋も凍る「寒い」ニュースである。
なお、知事(役所)サイド、あるいは、県議会サイドからはもっと強力な原案提示があったとかが理由で、業界サイドがこれで勘弁して下さいという意味なのかもわからないのは、そうした背景情報がどこにも見当たらないからである。
わが国は、決定のプロセスが公開されないことがふつうになっている。
むかし京都で、有名な神社仏閣に「拝観税」を徴収するといいだしたら、寺院側が拝観停止という強硬手段に出たことがある。
京都における「白足袋族」の代表が、坊主なので、この話題は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の拡大がおきた。
ちなみに、「白足袋族」とは、ほかに、呉服屋(西陣)の主人とか、茶人、それに学者とか伝統芸能のひととか和服に白足袋を履いている集団で、地場に隠然たる力をもっているひとたちを指し、庶民から「逆らってはいけない」といわれるひとたちのことをいう。
それでもって、祇園やらの花街界隈でのお得意さん・常連という特徴もある。
とくに、京都の寺院は、たいがいが「大本山」とかの「名刹」ばかりなので、檀家の墓地はなくとも、末寺からの上納金で生きている。
こうした仕組みは、日本のヤクザ社会にも導入されているものだ。
はたして、「門跡」ともなれば、世が世なら庶民が直接口をきける相手ではない。
そんなわけで、京都人の「イケず」な性格が、「税」の議論に入り込んだので、感情論も含めてやたら面倒なはなしになったのである。
しかし、わが国には、中途半端な「法定外税」という仕組みがある。
これは、地方議会の議決による「条例」で定めることができる「税」なのだ。
なんのための地方議会なのか?を問うたとき、最大のポイントがこれだ。
しかし、日本人には、「幕藩体制」がDNAに仕込まれたのかしらないが、地方独自の「税」があることに抵抗感が低い。
その割に、「天領」の方が格が上だとするヘンな自慢があって、それを21世紀のいまでも滋賀県の大津だと徒歩でまわれば体感することができる。
よくアメリカが引き合いに出されるが、彼の国は「合州国」なので、「州」ごとに別の国といえるから、「税」からなにから違うのは当然だけど、明治から平安朝以来の「中央集権国家」になったはずの日本だと、「藩」で違っていたことの中途半端な名残なのである。
さてそれで、沖縄県の椿事は、形の上だろうが業界団体がすすんで新税(県税)の陳情をしたことだ。
県民には課税しないということの意味は、県外客からなら収奪してもよいという、まるで山賊のような思想がみてとれる。
どうやって、県民と他県民を認識するのか?は、よくわからない。
沖縄の友人から予約してもらって、「県民」を装えば、課税されないのかもしれない。
それに、税率の「3%」とは、あたかも消費税導入時を思い出すが、県外客が相手だからそのうちいくらにでもなるのだろう。
なんにせよ、結局、この目的税の配分が欲しい、という乞食根性の発露だというわけだ。
3%の利益をあげる方策をかんがえることを放棄して、社会主義による役所からの安易な分配に目がくらんだのか?
なんだか、いまはだれも読まなくなった、尾崎紅葉の『金色夜叉』の貫一・お宮のようなのだ。
おそらく、沖縄の観光振興は、ぜんぶ県庁主導になって民間活力は消失し、国営ならぬ「県営」の略奪的観光地になる最初の一歩になるのだろう。
その前に、「新税」を創設することの重大性を、当該県議会議員たちが理解しているのか?
「琉球独立運動」の、別の側面「ソ連化」がこれなのだと全国にしらしめたのである。