1681年、松平氏の親藩高田藩が「越後騒動」による第五代将軍綱吉の直裁を経て、改易(お家取りつぶし)となった後、天領となり、その後(1724年)に会津藩になったと「小千谷の歴史」にある。
「越後のちりめん問屋の隠居、光衛門(みつえもん)にてございます」というあの『水戸黄門』なる作りばなしに登場する、水戸光圀公を主人公にした全国漫遊の物語(原作は能『鉢木』だという)は、1701年に亡くなったホンモノと時代が一致するから興味深いのである。
直轄領(代官統治)となった小千谷名産の「小千谷縮」を、幕府は正規の「服制」として通達したのをもって、「全国ブランド」となった経緯がおもしろい。
江戸城登城の際、「夏の正装」として指定したから、まず各大名は嫌々これを発注したものの、その快適さ・着心地のよさが、「さすがご公儀」との評判になったのである。
大名が驚いたから、家老以下にもひろがって、町民に普及する。
「天領」ゆえに、「天下の副将軍」がその問屋の隠居を装うというフィクションのアイデアは、たしかによくできている。
現代、その小千谷に滞在するのが困難なのは、市内に宿が少ないので予約が困難なことにつきる。
せいぜい隣の長岡に泊まって、出かける、しかないのであるが、長岡の宿を予約するのも大変な時代になった。
まずは向かうのが、「小千谷市総合産業会館サンプラザ」内にある、「小千谷織物同業協同組合」の展示販売コーナーなのである。
7月に電話して、サイズに見合った作務衣を取り置きしてもらっていたことも、まっ先に行くことの原因だ。
じっさいに、人気の「紺色」は、取り置きしていなかったら完売だった。
会館の入口には、記念碑があった。
「世界遺産登録」のものである。
小千谷縮は、国指定の伝統的工芸品になっているが、世界のも、国のも、どちらも「無形文化財」なのである。
つまり、人間の手仕事が対象なのであって、製品を直接称えているのではない。
この優れた製品は、手仕事の技能なくしてこの世にない、という意味である。
『国宝』は、歌舞伎だけの世界ではない。
その技能者がもはや絶滅危惧の危機にさらされている。
ゆえに、近い将来、入手困難になること必定なのである。
つまり、高価になるばかりでなく、そもそも作り手がいないことでの買いたくとも物がない、という事態がすでに想定されている。
なんと、上記販売コーナーも、いまフロアの大半を使っているが、来月から別階に移動して面積も半減以下になるという。
これまでの在庫がはけた後、すでに、製品の不足が予想されているのである。
貧しい農家の冬の仕事が、小千谷縮の原点である。
貧しくなったいまの日本で、貧しさ故の丁寧な手仕事が復活するのか?
学業・学歴追及の一本道ではない、できれば手が柔らかい10代の早い時期からの訓練で、まさに手に職を付けることの一生の意味が光り出すであろうことに期待したい。
販売先は、世界、である。