年表で昭和を読み返す

図書館に通うのは、夏なら暑さしのぎの意味もある。

新聞閲覧コーナーには、あいかわらずの人数がいて、とくに夕刊紙とかスポーツ紙が人気なのは、自分で買うことをしないからだろうと、勝手に推測している。
ビジネスホテルでは、無料で全国一般紙を配付しているところもあるけど、荷物が少ないとき以外は手を出さない。

手を出すのは、購入した野菜などを包むのにいいからで、それ以外の新聞(紙)の使い途はもうないとおもっている。

全国紙で倒産しそうでしない、「毎日新聞」が、とうとう9月から富山県での販売をやめるという。
宅配だけでなく、駅売りも対象なので、富山県の図書館にいっても毎日新聞を閲覧することは今後できなくなる。

「富山支局」は残すそうだ。
それで、「全国紙」のメンツは維持するようである。

そういえば、むかしは朝おきたら新聞をみるのが習慣だったし、夕刊の「特集」はあんがいとおもしろかった。
それでも一番先に観ていたのは、「テレビ欄」であった。

わたしもだんだん「高齢者」になってきた。
クラス会はかなり頻繁にやっているが、話題が「むかしばなし」になるのは、バラバラな人生を重ねたために共通の話題が、むかしばなしになるからである。

そういえば、あんなことがあった、という話題も、当然だが断片的だ。

そこで、『現代世相風俗史年表 1945-2008』(世相風俗観察会編:河出書房新社、2009年)を図書館で借りてきた。
初版は、1986年でわたしが就職した年にあたる。

一件ずつトピックを詳細に読む方法もあるだろうが、ざっと眺めることで、流れをつかみたいとおもったが、なかなかそうは簡単に流れがわかるほど単純ではない。

今起きていることの原因を探るならば、少なくとも200年は遡らないといけない、という歴史家の言葉を思い出させる。

アレックス・ヘイリーの名作、『ルーツ-アメリカ家族の物語』(1976年)、テレビドラマ版は、77年10月2日から連続8日間放送され、翌年4月には再放送され「クンタ・キンテ」は社会現象にもなった。

そのクンタ・キンテは、200年前の1750年生まれ、なのである。

ここから、「自分史」としての「ルーツ」探しが流行ったし、いまでも高齢になって時間を持て余すようになると、「家系図作り」に励むひともいる。

明治生まれの祖父母(誰にでも父方と母方とで4人いる)が亡くなったとき、相続のために戸籍を遡って探したもので、残念ながらコピーをとる手間を惜しんだから、いまさらもう一度調べるとなるとそれなりに面倒だ。

しかも当時は相続が理由なので、それぞれの両親までで済んだが、それからさらにどこまで遡れるものか?やってみないとわからない。
戸籍ができる前なら、お墓がある郷土の寺院の「過去帳」を探すことになろう。

借りたのは「風俗史」だから、時々の事件・流行を追っている。

一見してなんの脈絡もなさそうだが、ブラウン運動をする分子ように、それぞれが影響しあって、一つの現象になっているのだろう。

そんなことを思いながら、ページをめくるのである。

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