意図せざる結果の恩恵

意図せざる結果のことを、専門用語として「随伴的結果」いう。

自由主義の伝道師、ハイエクは、これぞ人類発展の肝としている最重要な概念なのである。

そして、社会を設計したり、よかれと計画することの無意味ばかりかその害悪を、アリストテレスから引いて説いている。

かのアリストテレスさえも、意図せざる結果を誤解した、と。
もちろん、近代のはじまり、デカルトの間違いは、現代にも及ぶ害悪となっている。

この意味で、われわれ日本人からデカルトのような人物が出現「しなかった」ことは、縄文からの日本文化を背負った日本文明にとって、もっけの幸いなのであった。
しかしながら、幕藩体制を破壊してそれを「正義」とした、明治新政府なる英国の傀儡政権は、デカルトこそが近代文明社会の原点にあると説きまくったのである。

令和の時代に、デマを国民に垂れ流す日本政府の原点は、明治新政府にある。

もちろん、デカルト礼賛はごく狭い範囲で正しいが、近代欧米文明社会が日本文明社会と比べて、けっして「高級」な評価をすることはできないから、あたかも、日本文明によって開眼していた台湾が、ひどく遅れた中華文明の蒋介石率いる中華民国なる後進集団に乗っ取られたごとくに、わが国も先に劣化の先鞭をつけられたのであった。

そしてまた、波状攻撃的にGHQによる深手を負いつつ、今に至るコントロール(隷属・隷従状態)下に置かれたのは、ハイエクの『隷従への道』を逆手に取った高度な作戦の成功だともいえるのである。

このあたり、幾重ものらせん状の複雑さがあるから、一直線のリニア的な歴史発展をするものだと思いこむと、なんだか理解できない。

社会を科学する者は、たとえばアダム・スミスがいった「神の手」のごとく、とっくに気づいていた「意図せざる結果にこそ正義がある」というものを、あたかも誤解して馬鹿にした。
「神は死んだ」といったニーチェの言葉を、ムリクリ適用したのである。

しかし、正義とは意図して実現するものではなく、「発見するものだ」ということの確認が今こそあえて必要なのである。

それで興味深いのは、そんな英国でも、英国の経験主義が伝統主義と結合したことで、「法」もまた広い範囲にある認識から、言語化が困難になったことである。
つまり、いちいち「立法」をして、それを文字に書くことの危険は、はじめから人々の心にある「法」をえらく矮小化することは英国人をして気づかせていたのである。

故に、「コモンロー」を採用したのは、当時の英国人の叡智がさせたというよりも、試行錯誤による意図せざる結果であったことの後付けなのである。

それは、人々の中に培われてきた、DNAにも焼き付けられているので、「新しい法」に人々が違和感や反発を抱くなら、その「立法」は、その設計思想や計画自体の間違いを表しているといえる。

これをハイエクが1970年代に説いたのである。

しかしていま、その英国も違和感ばかりの社会になったのは、あろうことか設計や計画が、「社会の進歩」という名のもとに浸透してしまったことによる。

つまり、典型的な設計と計画の思想、すなわち、社会主義(=福祉国家)を採用したことに現代の悲惨の原因となったのである。

一方で、わが国では、歴史的な不人気となった岸田内閣の支持率の低さとは、まさに「立法」が「設計」や「計画」に陥ったことの結果であって、「閣内不一致」すらないことのおぞましき状態は、閣僚一人一人も、この間違いに陥ったことを示している。

さらに、政権与党ばかりか野党も同じ間違いに陥ったことで、にっちもさっちもいかなくなったのである。

しかして、文字どおりの「先進国」が、先に壊れる過程をわれわれ日本人に見せてくれているのは、「遅れている者」にとっては幸いなのに、である。

傲慢なエリートたちが、神に代わって計画し実行したら、世の中に意図せざる結果が満ち満ちて、エリートたちに制御不能になってきたから、とうとう「強権発動」という手段を用いるしかなくなった。

まったくもって、全体主義の行き先がいつでもどこでも同じことを表している。
『平家物語』の作者は、これを「理(ことわり)」と表現した。

英国の総選挙前に、カナダの国会議員補欠選挙では、ほぼ野党・保守党が勝ったためしがない選挙区で、その保守党が圧倒的な勝利をおさめ、与党トルドー政権に衝撃が走っている。

本国の英国・保守党は、カナダの保守党と党名では同じだが、中身はわが国の自民党=共産党と同じになって、あたかもトルドーの自由党と兄弟党になっているから、「党名」だけでは判断できないので注意がいる。

その意味で、逆神化したマスコミが「極右」という政党が、カナダ保守党で、もはやヨーロッパでの伸張と相似なのであるし、あの南米にしても、アルゼンチンやエル・サルバドルがそうであるように、もはやエリートたちからしたら、悪夢のような意図せざる結果が現実社会で続出しているのである。

この潮流に力ずくで抵抗しているのが、まさに岸田政権であり、その親会社たるバイデン政権の断末魔なのである。

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