持続不可能だから公衆トイレ補助金で有料化

なんでも「持続可能性」なる、官庁文学用語が幅をきかせているのは、国民個人の奴隷化に8割ほど達成したから、つぎに「個人事業」や「法人」を狙っているのはまちがいないとおもわれる。

ようは、バラマキによる「国民の総乞食化」なのである。
これを推進する政治家やら役人も、自分たちこそ乞食化していることに気がつかないのは、阿呆をエリートだとする教育の成果となっている。

そんななか、官公庁という余計な組織(ほとんどの政府組織は国民にとって余計な存在である)が、7月19日から11月8日まで、「持続可能な観光の促進に向けた受入環境整備事業」の二次募集をはじめたのである。

この中には、たとえば「トイレの有料化」がある。

その他にも、「入域料」とか「協力金徴収」とかといった、課金化をすすめるのが、「持続可能な観光」になるという。

つまり、「持続可能な観光」の定義が狂っているのだ。

このとき、誰から徴収するのか?ということは書かれていない。
外国人から徴収して、日本人からは徴収しない、ということができるのか?もない。

なんのことはない、「観光の税金化」のことをいっている。

なるほど、たとえば、自動車税の本旨は、贅沢品を所有することの「罰金」である。
鹿児島は島津の殿様の末裔は、国道の道幅拡張に自宅の土地提供を拒んだが、そのときに「庶民が自家用の『籠』を所有し乗ることは、不届きなほどの贅沢だから禁止すべき」とのたまわったのだった。

上皇陛下の妹にして、今上陛下の叔母にあたる島津貴子さんは、夫君のこの発言をどう聞いていたのか?

いまどき、せっかく政府が国民を貧困化させたのに、観光するなどというのは不届きな贅沢である。
ならば、罰金を徴収して、中央やら地方やらの政府が肥えればいいのである。

ここに、愚か者の観光業者を肥らせようという発想はない。

似たようなものに、犯罪者から没収した資産は、「国庫」に入る仕組みだが、この「国庫」から犯罪被害者になにかしらの返金保証があるというものではない。
つまり、国庫が肥るだけなのだ。

日本政府は、徳川幕府よりもはるかにあくどい、政府と国民の区別をして、政府さえ栄えれば国民は貧困に堕ちてもかまわないとする、植民地経営の本質をむき出しにしている。
その宗主国は、英・米の大富豪個人の集団なので、あたかも収容所の囚人が看取補佐になっているのが日本の政治家と役人たちだという構図になっている。

さて、日本からの団体ツアーに加わって、外国で大型バス観光に出かけると、あろうことかトイレ休憩の頻繁さに驚くが、さらに驚くのがいわゆる外国のドライブインのトイレの貧弱さに辟易することになる。

圧倒的にブースの「数」がない。

逆に、外国人が日本のバスに乗るツアーでは、高速道路のサービスエリアにあるトイレがズラッと並ぶ姿に感動して、素直にカメラを向ける者も絶えない。

日本人と外国人とでは、膀胱のサイズがちがうのか?と語られることになるのだが、膀胱ではなくて「保水力」のちがいなのだ。

なんのことかといえば、米やら雑穀やらを主食にしてきた日本人は、飲む水もしかりだが、食事からもあんがい大量の水分を摂取している。
これが数千年間の時間をかけた遺伝から「体質」になっているので、トイレに行く回数がやたら多くなるのだ。

一方で、外国人、とくに白人種(欧州)は、肉食がメインであっただけでなく、水が貴重だったので、飲・食ともに水分を日本人ほどとらないで生きられる体質になっている。
彼らは、乾燥した冷気を肺に直接入れないよう鼻孔空間をたくさんとって、湿気と温度をあたえるために鼻が高くなったのとおなじぐらいの時間をかけた、体質のちがいなのである。

なので、国内であろうが観光地のトイレの利用は、圧倒的に日本人の方が多くなる。

だから、もしも外国人だけ有料、といってはいても、そうはいかない批判が出ることを想定すれば、やっぱり全員有料となって、「税」と同様になるのである。
なお、ヨーロッパのほとんどの公衆トイレは有料で、デジタル通貨が普及しようと小銭がないと慌てることになる。

当然だが、飲食店で湯水が日本のように無料で提供されることもない。
トイレの有料化とは、欧米化そのものなので、そのうち日本でも水をただで提供することにも「罰金」が徴収されることだろう。

大きくいえば、文化破壊なのである。

小さくいえば、役所だけが持続可能になるということで、利用者が貧困化してもかまわない、という見事な支配者からの差別思想がみえてくる。

なお、江戸時代に五公五民であったのは、農業(主たる米生産)の生産性がやたら高かったからだった。
一粒の籾が、秋には100倍になったのは、夏場における農民の草取り作業という献身的努力を伴う重労働の賜だった。

同時期のヨーロッパの麦は、せいぜい5倍の収量なので、パンが贅沢品だったのである。

ほんとうにトランプ政権が発足するのかはしらないが、発足の暁には、「第二次サッチャー政権」同様の、ハイエク型の施策が目白押しになることが確実で、そうなると、日本政府の社会主義政策がふっとぶ。

だから、トランプ政権ができる前のギリギリまでを締切りにしている(アメリカ大統領選挙の投票日は11月5日だ)のではないかと穿った目でみたくなるのである。

ただし、そうなれば本来の民間主導での自由な行動による、持続可能な発展になることはまちがいない。

ゆえに、これを阻止したい全体主義勢力が、何がなんでも無理矢理な理屈を掲げているのである。

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