持続可能なサマータイム

あまり「ウインタータイム」といわないのは、これが「標準時」だからである。

それで、ウインタータイムから1時間時計を進めるのが、「サマータイム」になっている。
こうして、「日没時間」を遅らせるようにするのである。

つまり、移行日の1日は23時間となり、ウインタータイム(標準時)に戻す日だけは、25時間となる。

提唱者は、18世紀のアメリカの賢人、ベンジャミン・フランクリンだという。
彼の傑作、『フランクリン自伝』は、たしか中学1年だかの夏休み課題図書だったかと記憶している。

いやいや買って読んだが、これがたいそう面白かった。

アメリカの人気テレビドラマだった、『奥様は魔女』の第3シーズン、13話と14話(1966年12月8日、15日放送)にそのフランクリンが間違った魔法で現代に呼び出されて登場するドタバタがあったが、思い切り知的な仕上がりに感銘したものだ。
なので半世紀以上たったいまも覚えている。

いまのアメリカに呼び出されたら、どうなるのだろうか?

さてそれで、どうしてフランクリンがサマータイムを提唱したか?の理由は、「ろうそくの節約」だったのである。
なんだか二宮金次郎のようなはなしだが、金次郎の貧乏には日本的切実さがある。

いまのアメリカでもヨーロッパでも、はては日本でも、持続可能がどうのこうのと面倒臭い連中がいるけれど、このひとたちの浅はかさが鼻につくから嫌なのである。
それで、こうした連中は、日本でもサマータイムを導入すれば、エネルギーの節約になるとかなんとかと、太陽光発電やらEVやらのムダな推奨をなんとも思わないボケぶりを発揮する。

ならば、江戸時代までの「十二辰刻」にでもいたしましょう!といってみろ、といいたくなるのである。
これは「一刻」をおよそ2時間とするものだが、加えて、「不定時法」なのであった。

かんたんいえば、季節による昼夜の長さに応じたものだから、真冬と真夏とでは、時間の進み方がちがう。

いまの「定時法」からしたらややこしくて一見不便そうだが、日が登ったら起きて、日が沈んだら寝るという、フランクリンもびっくりの生活習慣を基準にした「時報」なのである。

それで、南蛮人が持ち込んだ西洋式(定時法)の「時計」を、なんと日本人は改造の工夫をして、不定時法の「和時計」を、明治6年に暦をいまの「太陽暦」とするまで、200年以上も製作していたのである。

この意味で、「和時計アプリ」を「旧暦:太陽太陰暦」と一緒に見ると楽しい。
よくをいえば、「いまなんどき?」ときいたら、音声でこたえてくれたらとおもう。

なお、わが国でもかつてサマータイムを導入したが、わずかな期間で廃止になっている。
残業時間が増えたから、というまともな「困った」の結果だったのである。

いま、まともな賃金がもらえないので、残業代収入がないと暮らせないひとが増えているから、それをもってサマータイム再導入をいうならまだしも、あたかも持続性とかとたいそうなことをぬかすからインチキくさいのである。

なにしろ、高緯度のヨーロッパほど太陽の日差しが恋しく、サマータイムが重宝されている当然があるし、あんまり効果やらには変化はないけど、ヨーロッパに合わせないとビジネスやらに不都合がある中東などでもサマータイムがせっていされている。

これらの国は、ぜんぜん持続可能性うんぬんとかとは関係ない。
逆に、ヨーロッパ支配の伝統に合わせることで、双方の時計を合わせているだけだ。

ネットにつながっている端末の時計なら手間なしだけど、単独の時計はいちいち修正操作を要する。
だから、「IoT(Internet of Things:もののインターネット)」にしましょう!というのも、なんだかなぁなのである。

だったら和時計アプリに合わせた暮らしを一回やってみようか?と粋なことをかんがえたのであった。


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