改革なき改革

ひとくちに「江戸時代」といってもざっと270年ある。
その中で、学校でも暗記させられる「改革」は三つしかない。
・享保の改革 (1716-1745年):八代将軍 徳川吉宗
・寛政の改革 (1787-1793年):老中 松平定信
・天保の改革 (1841-1843年):老中 水野忠邦

ときに「改革」を国語辞典で調べると、辞典によって解釈が微妙に違う。

なんにせよ対象となるのは、既存の「制度」や「機構」を変えることである。
『明鏡国語辞典』では、「よりよいものにすること」とあるが、『新明解国語辞典8版』では「新しい時代に適応するものに改めること」とある。

よりよいものにすることの、対象が「誰か」によって大きく意味がちがう改革になるし、新しい時代とは「どんな時代か」によってもちがってくる。

受験勉強の「初歩」に文科省によっておとしめられた、義務教育になったので、義務教育期間を終える「中学卒業」で一生を食べていくのが困難になった。
これを、さらに「改革」して、事実上の「高校全入」を達成したら、こんどは「無償化」という義務教育期間の延長をやって、さらに大学にまでこれを拡大する魂胆のようである。

それが証拠に、文科省はすでに「高等学校」を、「後期中等教育機関」と定義している。

だったら、小学校➡︎中学校➡︎高等学校、を「改革」して、小学校➡︎前期中等学校➡︎後期中等学校と「改称」させないとおかしいが、それだとありがたみが薄れるからかこれをやらないで放置している。

この意味では、「中高一貫」というやり方は、「(全期)中等教育機関」の合理性があるようにもみえるが、ここに重なるのが生徒たちの「思春期」という成長に伴う「心身の変化の時期」にあたるために、集団の環境を変えるという意味での学校自体に変化を持たせることの合理性を優先させていたこととの比較吟味が必要となる。

さらに、「大学教養課程」をじつは「高等教育」といいたくないからだろう。

大学進学のありがたみが半減してしまうからでもあるし、わが国の大学教育は事実上「大学院」でしか受講することができない実態がバレると困る「関係者」との利益相反になると推察する。

天然資源の加工による「科学技術立国=貿易立国」のはずが、「科学の基本」を高等学校の必修から外して、理系大学の授業に依存するようにしたから、理系大学でむかしの高等学校の「基礎」からやらないといけなくなった。
しかし、大学は4年間という制約なので、はみ出したしわ寄せで大学院がそれを引き受けている状態になった。

さらに、企業が自社の研究開発を縮小させているので、研究をしたいひとが「外国流出」するはめになっているけれども、こんな実態をしらない経産省ではないから、わざと、だと確信がもてる「政策」なのだと理解できる。

それで、「日本政府 改革の歴史」をA.I.に語らせてみたら、明治の三大改革として、「学制」、「徴兵」、「地租改正」がでてきた。
前提に、封建制の廃止と近代化の推進がある、という。

戦後は、GHQおかげの「民主化改革」があって、憲法改正、政治体制の変革を基礎に、行政改革と規制緩和を中心に、様々な課題への対処のための改革がおこなわれているという趣旨の回答を得た。

A.I.という誰かがプログラミングした人為を、あたかも無機的な電子機器が正解を出すような幻想に囚われることのヤバさの例だ。
もしも、「GHQおかげ」という前提をネガティブに変更したらどうなるか?を考えさせない、という利用方法になっていないか?

そういえば昨今では、めっきり「ファクトチェック」を人間の専門組織に問わないで、A.I.に問うて解決したような体裁にして発信しているひとがいる。
人間の専門組織の怪しさがようやく一般的になったのは是としても、その代替がA.I.とはまことに愚かしいことであるが、それで満足するやからが本当に多数なのであろうか?

ようは、「真実はなにか?」が、わかりにくい世の中になったのである。

ならばむかしはわかっていたのか?と問えば、マスコミ報道を信じていればよかった時代があったし、封建時代に遡れば、「お上」のいうことが真実であろうとなかろうと、余計なことはいわずにだまっていればよいだけであった。

その溜まった精神の避難地が、神社仏閣における「信仰」にエネルギー変換していたのだろう。
徳川幕府における「寺社奉行」の地位の高さが、思想統制としての宗教を扱っていたことがわかるし、その巧妙さで「葬式仏教」になったのだった。

いまは、そんな避難地すらなくなって、どうしたものかの挙げ句が「X」という言論空間になっている。
ゆえに、「現代のお上」はこれを制限したくなって、「改革」するのである。

すると、誰のための?という前提が、民主主義なら自動的に有権者=庶民のためになるはずのものが、ぜんぜんならないことに気がついて、一斉に、民主主義への信仰がひとびとの中から剥離・凋落しだしたのである。

だからもう、「改革疲れ」の段階は通過した。

野党がいう「改革」の言葉が、ぜんぜん響かないばかりか、まだそんなことを口にする感性のなさに呆れるのである。
この点で、与党はすっかり「日本をあきらめた」ので、なんのこころに後ろめたさも傷もなく「売国に勤しんでいる」のは一種の正直さともいえる。

つまり、改革をやり過ぎたのではなくて、目的を失ったばかりか、ちがう目的が設定されたのである。

それでもって、「改革が自己増殖」したのをだれもコントロールできなくなった。

はたして、1000年続く「末法の世」のひとつの破局がここにある。

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