政府がテロ組織になっている

「マフィア化する政府」について、何度も批判してきたが、過去二回の『肉食の思想』(1966年)と『日本を見なおす』(1964年)から予告された未来、すなわち60年後の現代、もはや政府と国民の乖離による、政府からの「国家テロ」をやられだした必然があるので書いておく。

宗主国というよりは、わが国支配の司令塔といった方が適当なのは、それが「軍産複合体:アメリカ民主党とRINO」だからである。
何度も書くが、このふたつのパーティー(政党)、とくに民主党は、スターリンに追い出されたトロツキー派(国際共産主義運動派)によって、乗っ取られてからしばらくは、「隠れ共産党」であった。

しかし、戸籍制度がないことを利用してか、出生がいまだに不明なオバマの登場で、自信を得たのか、これ以降は隠さずに共産主義をアメリカ社会に蔓延させることをやってきていまにいたっている。

ちなみに、オバマの出自についての疑惑も前に書いた。

ところで、事務能力も統治技術も未熟な「古代」にあって、その政権や政府は、どうやって人々を支配したのか?については、じつは「なにもしていなかった」のでる。
つまり、個人はそれぞれ政府から自由だった。

しかし、個人を括ったのは、部族社会であった。

なので、古代の支配関係とは、中央に対して地方という構図はまるで現代的だが、実態は、部族の管理だったのである。

これは、西ヨーロッパも日本もおなじだ。

双方とも、同系部族が個人生活をまもっていたからである。
それは、日本なら米作りの共同作業から生じたし、西ヨーロッパなら、ワーグナーの『ジークフリート』のごとく、森の中の生活における他部族との遭遇が、危険極まりないものだったからである。

とくに日本において、なぜに中央からの要求にだまって対応していたのか?が不思議だったけれども、米の生産性がやたら高いという事実が、命令に従順であった素地であった。
古代でも一粒の籾から20~30倍の収穫ができた。

しかし、西ヨーロッパの麦は、5倍程度の収穫でしかなく、しかも連作ができないために家畜を放牧して地柄を整える必要があった。
大陸ゆえに、土地はあったし、麦は撒いたら放置して自然に育ったのである。
なぜなら、日本とちがって雑草が育たないからだ。

ゆえに、西ヨーロッパからみたら、日本の狭い土地で丁寧に人手を加えて育てる米の栽培を、「園芸」と呼んで彼ら流の「農業」と区別するのである。
これに、農民は土地とセットの「農奴(serf)」という固定的な身分をつくりだし、屠畜と一緒にした。

日本では、米づくり農業:園芸、にやたら人手を要するので、農奴という発想はないし、屠畜をすることはめったになかったから、農民とは別の身分ができたのである。

さてそれで、明治体制も、西ヨーロッパとは意外な点で異なった構造を示す。

それが「初等教育:義務教育」なのである。
西ヨーロッパでは、庶民とエリート(貴族)は、そもそもおなじ学校へ通うことはなかった。
遅れているはずの日本で、明治の小学校ができたのと、西ヨーロッパで庶民とおなじ初等学校に通わせる時期がほとんどおなじか、日本の方が早いのだ。

なお、英国はいまだに身分によって別々の学校に行く。

そうやって日本では、「国家神道」を子供の心にたたき込んだが、大正デモクラシーという、反動で、エリートのための高等教育では、あたかも「国家神道」を否定した教育、すなわち「科学優先」をやっていた。

ために、高級官僚で国家神道を信じる者はなく、政府と一般人の意識は乖離していたのである。

ちなみに、師範学校で小学校教員を養成したのは、国家神道をたたき込むための、「非高等教育」だったからである。

一方で、軍は徹底的に国家神道をたたき込んで、死闘に耐えるような人材づくりをやっていた。
そうやってかんがえると、もっとも科学的でなければならない「軍」をして、もっとも非科学的な組織環境をつくる努力をしていたともいえる。

これを批判して、山下奉文が、刑執行の直前に口述して残しているから、山下大将といえども、組織にあらがうことは死の直前まで不可能だったということになる。

ここでいいたいのは、軍ではなく、むしろ政府の方である。

国民意識と乖離した政府は、なにをしたかったのか?
奇しくも、戦後、丸山眞男が『現代政治の思想と行動』(90ページ)で、その脆弱性を東京裁判におけるブラナン弁護人の「日本政府を構成したこれら十数代の内閣の成立、瓦解を通じて、十三人の首相。。。」と例をあげている。

戦時というやるからには必勝をきたさねばならぬ事態に、トップが1年ともたない国なのである。

つまり、彼らは自分でかんがえ、行動する能力をもっていなかった。
そうやって、国民を殺したのである。

この遺伝子は、確実に現代に引き継がれ、いま、岸田内閣の元で花開いているけれど、およそ自民党政権とはこういうものであったし、細川護熙内閣も、民主党も内閣もかわりはしない。

政治(国家や世界をかんがえること)に無関心すぎる国民性が原因しているのだけれど、これは古代からの風習なのである。

しかしながら、政府ではなくて、国民が存亡の危機にあるいま、無関心では殺されるのである。

これが、原爆投下から終戦の日までにかんがえるべき、生き残り、なのである。

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