数学は理系ではなく文系だった

数学が理系に分類されたのは、どうやらわが国の場合、明治になってから「洋算」を導入し、つまり、「和算」を捨てたときかららしい。

これはあんがい厄介なことで、「世界三大数学者」でいう三人とは、ニュートン、ライプニッツ、それに、関孝和だからである。

洋算派からは、困ったことに、和算の関がいる。

現代人には意外な場所かもしれない、神社には、「算額」とよばれる「額」にした絵馬が奉納されていることがあって、これは自分が考案した問題が解けたことの感謝を表しての奉納なのである。
いま、これらの問題を、高校生が留学生と一緒にワークショップで解くイベントもおこなわれている。

もちろん、その解き方は、「洋算」になるのではあるけれど。

明治政府をつくった薩長の「文系人」たちは、「文明開化」として、欧米の「科学」を日本に移入するのにセットで付いてきた「洋算」を一緒に採用して、これら全部を「理系」と分類した勘違いが始まりだという。

なぜなら、たとえばニュートンの英国では、数学は「論理学」の一部であるとして、いまだに位置づけられている。
もちろん、まだ「物理学」という学問がなかったので、ニュートンも自身を「哲学者」だと認識していた。

ようやく、「自然哲学」という、哲学のなかに「自然」を相手にする分野ができたころである。
それで、ここから、「自然科学」が生まれてくるのである。

ところが、数学は自然科学ではない。

いまだに「論理」のためのもので、それが「言語」としての意味を持っている。
つまり、「数学の作法」とは、言葉における「文法」のことなのである。

すると、いろんな記号を用いる数式やらは、ぜんぶが数学という言語を表記するための文字体系だということになる。
ようは、全世界共通言語としての数学であって、もしもあえて説明を要するときに、英語や日本語を捕捉的に使っているにすぎない。

逆に、母語が何語であろうがとにかく、「1+2=3」なのである。

だとすると、われわれは、少なくとも母語の日本語(国語)と、第二外国語としての英語やらの他に、世界共通言語しての数学を習っている。

残念ながら、日本人の多くは外国語が超苦手なのではあるが、数学という言語については、あんがいと強い民族なのである。
なので、外国からの留学生と一緒に「算額」の問題に挑戦できるのは、紙の上での「数式という共通語」があるために、あんがいと楽しく「筆談」ができるのだという。

そんなまさか?と思うだろうが、お釣りの計算を間違えない日本人は世界的に数字に強いと認識されていることは確かで、しかもたいてい「暗算」である。

もしも伝票を筆算で計算するとしても、日本人には難なくできる、ので世界から不思議がられるのである。

これはまたなぜかというと、江戸の関孝和をはじめとした「和算」の大家たちが、「筆算」の方法を考案してくれていたからである。
小学生で算盤塾に通っていたら、なおさらだ。

いま、算盤塾がブームなのは賢い親がいるからだし、国際化すればするほど算盤の驚異的な計算力が、おとなになって役に立つこと間違いなしだからである。

ためにこうした素地が、明治の転換期に、日本人は「洋算」にあっさり適合できたのだという説がある。

昨今の不況ではなくて、失われた30年だか40年の原因に、数字を忌避する文系人たちの支配がさせたのだとかんがえたら、なんだか納得がいく。

論理なき言語を使うとは、言葉遊びにすぎないが、その言葉が人間の思考を決定するのだから、たまたまの例ではあるが、「パリオリンピックの悲惨」な出来事も論理なき結果としての無残とは「無算」だともいえるだろう。

そんなわけで、わが国における数学(洋算)の授業の面倒は、論理を学ぶはずが、手計算による計算能力に重点が置かれた(受験のテスト)ために、えらく本末転倒の状態になっている。

世界では、「学習用グラフ電卓」を授業で用いるのが常識化しているのは、とにかく論理を生徒に学ばせたいためで、面倒な計算は機械にやらせることにある。

わが国の数学教育で、こうした文明の利器がほとんど一般的に普及しないのはなぜなのか?

その教師たちの論理はもしや、「人種差別」につながる?という過剰反応なのかもしれないとおもいついた。
自分に面倒なことは、奴隷にやらせればいい、というあの「肉食の思想」である。

たしかに、電卓を擬人化すれば、人間にとっての電卓は立派な奴隷である。
けれども、なぜに電卓を擬人化するのか?をかんがえると、八百万神が登場する。
そこには、計算方法ではなくて「和算」で解けたときの感謝を神社に奉納する思想がみえてくる。

なんのことはない、グルッと一周してもとにもどる。

だがしかし、いまや「肉食の思想」をもった世界の多数派による、弱肉強食の餌食にされているのが日本人なのだ。

神社の神様に奉納する文系の思想を、ここ一番で発揮させるために、いまは「教育用グラフ電卓」をもって、各種問題を解いてみることをやったらどうかとおもう。

なんと、そのシェア世界一の、テキサスインスツルメンツの製品『TI-Nspire CX II CAS』は、ざっと3万円するけれど、「ipad用の正規アプリ」は4500円でだしていた。

「つかいかた」も売っている。

おとなには、硬くなった頭をほぐすのにいいのだろう。
ただしき、おとなのおもちゃである。

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