文系で米国大学留学は危険かも

アメリカの大学と聞けば、なにやら「優秀にちがいない」という、「校名ブランド」が擦り込まれている。
これは、英国でもおなじで、「オックスフォード」と「ケンブリッジ」の二大校名が、世界に君臨しているようにみえる。

トランプ政権2.0が、ハーバード大学だけでなく全米の大学に留学生の実態調査を依頼したが、頑固に拒絶の姿勢をみせたために、政権との対立が決定的になった。
これを、マスコミが「政治介入による大学自治への挑戦」と書きたてているが、ほんとうか?

日本で報じられない事情を、「カナダ人ニュース」さんが詳しく報告している。

世界見目を向ければ、たとえば東京都知事が関係している、「カイロ大学」は、エジプトを代表する国立大学だが、首都カイロには、「アズハル大学」という日本では聞きなれない学校が、アラブ世界で「最高峰」と呼ばれることをしっている日本人は少ない。

とくに、「イスラム法学部」の卒業生の権威は高く、イスラム裁判所の裁判官の資格を得る。
イスラム社会では、西洋社会の「簡易裁判所」+「家庭裁判所」+「地方裁判所」をあわせたような機能が、「イスラム裁判所」にはあるのだ。

そもそも、教育機関はそれぞれの国の歴史を背景に存在している。

日本には、江戸期まで西洋でいう「大学」は存在しなかったし、必要性もなかったのである。
これは、支配階級とされる、「武士」の教育には、幕府なら林家が担当したし、各藩にはそれぞれの学派が「藩校」での教授職を歴代にわたって担当していた。

政治力はないとはいえ、「公家」には、家長が子弟を教育しる風習が残っていたし、庶民は庶民で、「読み・書き・算盤」を習っていた。
庶民でも『論語』を読み、その一節を書いていたし、いまも残る商家の「帳簿」をみれば、その見事な筆遣いに現代人は「書けない」と驚嘆するにちがいない。

ワープロが普及する80年代以前なら、どの役所も企業も、公文書や社内文書は万年筆と消えることがない顔料インクで手書きしていたけれども、その達筆さもいまでは再現できないだろう。

文盲率は、反日家がいうほど低くはなく、逆に、同時代の西洋社会と比較したら、断然高い教育水準に、西洋人たちは驚いたのである。

日本人が黒船に驚いたのは、「蒸気機関」のことだったし、鉄砲伝来以来あまり進歩がなかった重火器の威力だったのである。
さらに、蘭学からはいった西洋医学が得意とする特に外科にも驚いた。
それで、漢方薬からの脱却も含めて、「麻薬」の効用が注目されることになる。

西洋でこうしたことが発展した背景に、産業革命があったことはいうまでもない。

西洋の植民地主義=帝国主義の魔の手から防衛するには、「殖産興業」と「富国強兵」はセットとなった。
しかして、これらが即座に広がった背景に、江戸期までの高い教育水準という「素地」があったからなのである。

そんなわけで、江戸期までの主流だった「儒学の内の朱子学」が一気に廃れ、「実学=西洋式技術の習得」一辺倒となった。
しかし、教育とはそれを受けた人間に注入されるので、江戸期から半世紀くらいまでは、「儒学」と「実学」が共存する時代になって、だんだんと「実学」だけの時代に塗り変わる。

この意味で、約半世紀後の「大正デモクラシー」というのは、実学の優性がはっきりした時代背景をもっている。

さてそれで、留学して外国からなにを学ぶのか?

日本は昭和の末期に、「実学」の分野で世界最高頂に達したからだ。
つまり、研究資金が豊富な「実学=科学」分野なら仕方がないが、「文系分野」で西洋に学ぶべきことがあるのか?という疑問がある。

しかも、いまやアメリカの有名校は、ぜんぶ「共産主義」を教える始末なのである。

それが、いまの「ハーバード大学対トランプ政権2.0」いう形に集約されている。
じっさいに、ハーバード大学などの有名校はぜんぶが「私学」だし、バイデン政権時代の「奨学金(学生ローン)帳消し策」が、人気だったのは、そのバカ高い授業料に原因があった。

いま、ハーバード大学を卒業するのに必要な金額は、およそ7000万円程度にまでなっている。
日本人でも、よほどの裕福な家庭でないと、子女を留学させられないのは、これプラス生活費がかかるからである。

なお、アメリカの留学ビザには、就業許可が付与されていないし、日本のように「アルバイト三昧」で卒業できるような甘さはない。

政府が大学(経営)に介入することが批判の対象になるのは、トランプ政権だからで、オバマやバイデンのときの「授業料補助金」という介入で、学校当局が爆上げして政府補助金をそっくり懐に入れたことの批判を一切しない。

もちろん、トランプ政権2.0は、連邦教育省の廃止を公約にしているから、学生にとってよりも、大学経営者にとって「恐ろしい時代」なのは理解できるが、それは、「身から出た錆」そのものなのである。

そんなわけで、理系ならまだしも、文系で留学する価値は、えらく高い「卒業」のキャリアを買うことと、左翼思想に染まった同窓仲間との人的関係を買うことの二つとなる。
これらが生きるのは、やっぱり「外資」なのではあるが、投資資金が大きすぎるのである。

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