新フィージョニズムへのアンチ

伝統的な保守主義とリバタリアニズム(自由至上主義)とを、融合(フージョン)させた、あたらしい(極右)思想を「新フュージョニズム」と呼ぶらしい。

この源泉にハイエクミーゼスといった両巨頭がいるとのことだが、その切り抜き・曲解をもって構築された思想なので、この自由主義者のふたりは草葉の陰でさぞかし憤慨していることだろう。

まさに、悪意をもって作られたのだが、それはまた、左派からの批判を誘導するために、わざと立場を偽って新フュージョニズムをいう者の方が追いつめられている、ともいえる。
もっと「軽い」が、これに似た、じつは左派なのに保守(拝米保守)を装っているのが、たとえば櫻井よしこ氏などがいて、すっかり騙されている大衆は多数いる。

「新フィージョニズム」を、「反グローバリズムとの闘い」として定義することも、「反グローバリズムの闘い」=「ポピュリズム」と決めつけることも、簡単にそうはいかない。
むしろ、「新フィージョニズム」が、「グローバル全体主義」の不利な状況から派生した「本筋」であることこそが、問題なのである。

いってみれば、詭弁を弄しているからである。

その「新フィージョニズム」の行き着く詭弁の先は、まごうことなきディストピアである。
人々は、国境なきグローバルな世界で「もの・カネ・情報」の溢れた生活に溺れるが、人間は国境の壁を乗り越えられず、人種とIQの選択による格差社会におかれる。
そして、『マトリックス』のような、仮想現実での家畜としての生涯を送らされる。

これを、「反トランプ」のための思想として描いているのである。
つまり、トランプによる「常識革命」の先に、上のようなディストピアがあるのだ、と。

伝統的常識がディストピアを招く、とは笑止である。

アメリカでは、トランプ政権2.0は、しっかりと「オバマケア」の廃止に動いているものの、日本では、確かに「新フィージョニズム」のディストピアをどのように回避するか?の議論すらない。
なので、まったく想定外であるために、回避不可能かもしれない危険がある。

それが、「福祉国家の先」なのである。

つまり、日本型(オリジナルは「英国型」)の「公的」社会保障制度が、とっくに(昭和36年)完備された社会での、「出口」を、人類はいまだに見出していないことにある。
もう半世紀も前の、サッチャー革命でも、なにもできなかったのであるし、英国社会の疲弊は、もはや阿鼻叫喚に近づいていて処置なしなのである。

ローマが滅んだ理由とはぜんぜんちがって、近代国家は公的福祉制度によって滅亡する

すなわち、この悲劇から逃れる方法としての、上級国民だけに与えられた上級(特権)ゆえのチャンスの正当化思想が、この「新フィージョニズム」にほかならない。

中流以下は、切り捨てられる運命なのだが、その中流には驚くほどの「危機感ゼロ」の状況がある。

まったくもって、『進撃の巨人』の一般住人のごとくだが、現実社会は「地ならし」しても平安はこないだろう。

しかして、覆水盆に返らず。
「新フィージョニズム」を考案したものも、中流以下の一般人も、双方が同時に「追いつめられている」のである。

急いでアンチ「新フィージョニズム」を考案しないといけないが、それは、上にリンクした『福祉国家亡国論』に答がある。

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