旅を楽しむためには教養がいる

文系だと、経済学部や法学部、商学部などが「役に立つ」ばかりか、とくにこれといった学問的興味がないのに大学進学するなら、経済学部が「潰しが効く」といわれた時代があった。

潰しが効く、とは、「万能」という意味でもなくて、学友たちと「広く浅く」つき合えば、そのうちなんとかなるという意味でもある。
つまり、就職のために「大学卒」を欲するなら、とりあえずでもなんとなくでも「経済学部」にでもいっておけ、だったのである。

逆に、嫌われたのが「文学部」だった。

日本文学だろうが英文学だろうが仏文やら独文、なんであろうが、言語以外、「文学」なんて何の役にもたたないからやめておけ、だった。

しかし、文学部は、エリアが広く、歴史・地理、心理・思想などの「人文科学全般」を扱うので、じつは侮れないのである。
むしろ、ビジネスの世界でいえば、「人文科学全般」をしらずして、取引先とのビジネスはもちろん、組織運営すらままならない。

そうやってかんがえると、「潰しが効く」とか、「文学は役に立たない」とかというひとたちの発想の方が、よほど役に立たないのである。

一月ほどまえ、広島県の安芸の宮島で有名な「廿日市(はつかいち)」市で、驚愕の4万2千年前の旧石器(中期)が発見されたことがニュースになった。
地元「広テレ!NEWS」によると、さっそく見学に訪れるひとがでてきたが、いまはソーラーパネルが並ぶ私有地のため、遺跡を自由に見学することはできないという。

発掘調査をしている、奈良文化財研究所の研究員によると、この土地が「残った」のは、地質的に安定したことのおかげでもある、という説明に、理系の「地学」の知識も、歴史や地理の基礎をなすことがわかる。

この発見で、いきなりわが国における「人類史」は、5000年も古くなった。

難しいはなしは横にして、ことしは「紀元=皇紀2685年」なので、ざっと2倍の時間に相当する。
いったい、日本列島には、いつから人類は住んでいたのか?
しかも、「縄文時代」へのつながりが気になるのである。

それでもって、廿日市市の市長は、さっそく「遺跡の観光地化」を画策しているという。

「ジオパーク」でも書いたが、ただある、だけではなんにもならないのである。
これを、「掠奪式」の観光地だといいたいのは、生涯学習の意味を含めた、国民教育の貧困があるからだ。

こないだ書いた、「東国三社を巡ってきた」での「高天原鬼塚」のごとく、一旦整備しようとしてから放置されたままになりかねないのである。

それに、「旧石器の発見」といえば、群馬県みどり市にある「岩宿遺跡」のゴタゴタが有名である。
悪名高き明治大学の杉原荘介と、真の発見者でありながらひどい目にあった相沢忠洋氏のことは、下手なドラマや映画よりずっと興味深い。

ちなみに、明治大学は相沢忠洋氏やその遺族にいまだ公式に謝罪はしていない。

しかし、世はマトリョーシカ人形のような入れ子で、杉原は杉原で、東大からの圧力を受けていた。
だからといって、手柄の横取り、が許されるものではない。

世に「観光」を対象とした学問分野はあるようであるが、「観光地の学習・理解促進」のための教育体系はないようにおもえる。
それだから、提供者の「掠奪」が、いまだに有効な状態になっていて、国の観光政策も、やたら表層だけのアリバイづくりが目立つのである。

産業優先国家として、誰のための観光政策か?といえば、業界・業者のためで、見学者のためではないことが、観光対象の事物が軽く観られる本末転倒が横行するのである。

ならば、見学者の側としての抵抗を示せば、先のような学際的学習が役に立つとしかいえない。

静岡県小山町から山梨県山中湖村に通じる、「籠坂峠」の小山町側道路脇に、「藤原光親卿の墓」があり、その近くにあった「説明文」の表記が間違っていると、同町教育委員会に連絡したことがある。

さいきん、この説明看板はあたらしくなったが、町のHPでの説明は変わっていない。
これぞ、「お役所仕事」というべきか?
いやはや、教育委員会という特別なお役所に依存すると、国民はバカになるのである。

だから、国民は自衛権を行使して、自前で学習しないといけない。

こども家庭庁ができても少子化が促進されるばかりだが、おそらく、文科省の影響がゆるい「学習塾・予備校」の生き残る道は、社会人相手の「観光のための教養講座」であろう。
これに観光業界が気づくのか?は、もっと期待薄ではある。

なにせ、従来からの掠奪式が通用しなくなるからだけれども、これに業界自体が気づいていない。

だから、観光業に忖度して補助金やクーポンを配るようなことではなくて、客側の人材育成にカネをつかう、粋、な自治体がどこからうまれるかしらないが、わけしりの観光客が観光地を救うのは確かなのである。

それには、観光業に従事するひとのための教育ではなくて、観光を楽しむ一般人のために多分野にわたる総合教養学習プログラムの開発が必要なのである。

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