いまさら古い西洋の小説を題材にしても、ピンと来ないだろうけど、トランプによって大転換をはじめたアメリカを眺めていて突如目の前に古めかしい「城」が姿を現したような気がした。
もちろん、ここで姿を現した「城」も、ひとつのイメージに過ぎないから、決して実在する城ではない。
もっといえば、形状が見えないはずの、「城の運営システム」が、あたかも幻影としてでもそびえ立つようにチラッと見えたか見えなかったか?という程度のものなのである。
あらためて、『城』は、1922年に執筆されたが、24年に作家が41歳の若さで亡くなったので、未完のまま遺稿として26年に発表された長編小説である。
カフカといえば『変身』が有名なオーストリア=ハンガリー帝国下のプラハ出身(当時「チェコ」という国はない)の作家だ。
カミユの『異邦人』と実存主義哲学小説の双璧を成すといわれている。
つまり、カフカらしい不思議な世界が「城」で展開する。
物語は、測量士である主人公kが、見知らぬ土地の城に雇われたものの、いつまで経ってもその城にたどり着かないドラマなのである。
それだから、作品自体が「未完」とはいえ、あまり「未完」な気がしないのは、読者もまた、哲学者カフカの手中にあるということになっている。
この物語でいう「城」とは、kの雇用主としてみれば決して物理的な存在ではなく、何かしらの意志を持つむしろ「システム」の象徴なのである。
ゆえに、物語の奇妙さは、この城とそれを取り巻く住人たちの奇妙さ、という内容構造になっている。
すると、「城」を、たとえば「霞ヶ関」とか、「永田町」とかに置き換えると、気持ち悪いほどに現代日本と合致するのである。
もっといえば、「自社」のことを「うち」というとき、それは「城」の住人としての「うち=城」ともいえる。
中小零細企業なら、個人が特定できる「おやじ」とかですむかもしれないが、大企業となると、一般社員は「経営陣=取締役が多数いる」のひとりひとりがなにをかんがえているのか?についてしらないし、そもそも自分がどんな条件で雇用されているのかもしらないのが、「(日本)企業」というものなのである。
その組織の本質は何か?を追及しようとしても、長年勤めた社員すら、ましてや外部の人間ならなおさら、決してたどり着くことができないのである。
いまフジテレビで起きている現象が、まさにこれだ。
わが国が敗戦にあたって、「国体護持」のために決断が遅れたという物語も、そこまでして護るべき「国体」の本質とはなにか?に、ついに戦後体制はいまだにたどり着いていないことのひとつの事例なのである。
これが「外資」となると、少なくとも明記された「ジョブディスクリプション」がある。
はじめて「移民政策を推進している」と明言した石破首相の方針から、なぜに経団連=日本企業でジョブディスクリプションが普及しないのか?はこれまた謎なのである。
岡っ引きの、社会保険労務士とか中小企業診断士への普及カリキュラムが間に合わないだけが理由か?
さらに、それら日本企業の経営陣ですら、株主のひとりひとりがなにをかんがえているのか?をしらないし、自分が株主総会で承認されたことの真の理由だってしらないだろう。
「ものをいう株主」は、経営陣にとってうざい存在でしかないのも、質問に答える能力が経営陣に不足しているだけでなく、質問者の側にも傲慢さがあるからだ。
あたかも、トランプが「ワシントンの沼」と呼んだごとくである。
そのトランプは、復活して、いま本気で「沼の水を抜く」大掃除をやっている。
対して、マスコミも含めたわが国の「城」は、旧態依然のままどころか、より城郭を増築・拡大しているようにしか見えない。
つまり、国民は、kのように努力しても決して「城」の全貌すら見ることができないのである。
そのまたわかりやすい象徴が、「国家予算」の使われ方で、「一般会計」すら不明瞭なのに、その数倍規模の「特別会計」に至っては、完全に「闇の中」にある。
トランプ政権2.0が停止したすべての予算執行を、ワシントン地方連邦裁判所が「差し止めた」のも、民主党政権の意向を汲んだ裁判官の存在という、激しい政治的「闘い」の場になっているものを、日本のマスコミは嬉しそうに書きたてている。
これまでの巨額ウクライナ支援の「監査」をすると宣言したトランプ政権2.0に対し、わが国の国会における政府答弁の「ちゃんとウクライナに届いているはず」という、信じがたい無責任があるのは、日本政府が「城」だからであると議事録に残して告白したのである。
なお、ゼレンスキー氏は、とっくに各国支援の半分程度が「(何者かに)抜かれている」と発言しているし、ゼレンスキー氏を含めたウクライナ政府高官たちがヨーロッパやらの保養地などに多くの豪華不動産を所有していることは、当該する「現地」の住人にはとっくに「しれたこと」になっている。
しかして、現実の日本国民はkとおなじ立場かといえば、まったくの真逆で、「城」を雇用しているのが国民という構図のはずではなかったのか?
だがしかし、国民はkと同様に、絶対的な「被」雇用者=国家にとっての奴隷としての位置付けに固定されているのである。
すると、「城」のなかにいるのは、エスタブリッシュメントだということがハッキリしてくる。
なお、ここであえて「奴隷の定義」をいえば、「自らの労働に対して、正当な報酬が与えられない存在」のことである。
すると、はじめて「勝ち組」の概念がみえてくる。
「自らの労働に対して、不当に多額の報酬が与えられる存在」ということになるので、「株主」の強力な「飼い主」としての立場がハッキリする。
つまるところ、経営陣すらも奴隷化(奴隷の管理者:羊飼い)したことがわかり、それをあえて「勝ち組」なる用語でヨイショしているにすぎない。
しかして、そんな「城の体制」に、労働者も住人として取り込まれたのがわが国の姿である。
これを、現代の「黒船」である、トランプ政権2.0が体制転換を仕掛けてくる。
しかしそれは、ペリーの艦隊が目指したものではないし、ましてやGHQが目指したものでもない。
ここに、150年来の価値観の転覆があるから、かえってペリーが目指しGHQが目指したものを全面的に受け入れた、植民地としての旧態依然としたわが国の「城」は、自己防衛のために「城郭の拡張」をして対抗している醜態がみえるのである。
はたして、城の住民たる日本国民は、内部から反乱を試みるどころか、なにが起きているのかさえも気づかないでいるから、金・銀の海外流出(英国が主導した)で大インフレとなった幕末以下の状態にある。
政府が独占する学校教育=受験勉強で排除されている、徳川幕府滅亡の理由は、大英帝国による日本経済の破壊による体制転換=植民地化だった。
その大英帝国から独立したアメリカの伝統価値(モンロー主義)の復活を目指しているトランプ政権2.0が、逆・体制転換を仕掛けてきている大事件がこれから日本という「城」で起きることなのである。