日本の衰退は「平均への回帰」だ

一般的に「平均」というと、それは、「算術平均」のことをさす。

このほか、平均には、「幾何平均」とか、「調和平均」、「二乗平均」といろいろ種類がある。

算術平均を定義すれば、対象となるすべてのデータを加算して、その総和をデータ数で割ったもの、で小学校で最初に習う「平均」だから、生活上でもっともよく用いる。

商売の在庫管理などで用いる、「移動平均」は、対象となるデータの時期を移動させて計算することで、変化を均して見ることができるので実務で重宝されている。
かっこよく「季節変動調整済み」ということもある。

なお、パソコン時代のいまなら、「算術平均」を表計算ソフトで計算するときに「グラフ」も表示させると、山・谷の具合からデータの性格や特徴がわかるので、習慣化すべきである。

幾何平均は、伸び率、が対象になるもので、たとえば年率2%で伸びた翌年に3%となった場合の、この2年間の平均の伸び率とか金利でいう年率は何%だったのか?と年率換算するときに用いる。

√((1+2%)✖️(1+3%))=1.02498 → 約2.5%

この例では、(2+3)➗2=2.5とおなじ結果のように見えるが、微妙にちがうことに注意することが重要で、元の金額をおおきいと驚くほどの誤差になる。

世にいう「金融電卓」は、幾何平均も定式化したソフトを積んでいる。

明治から近代のわが国の「経済史」では、ザッと3回の高度上昇トレンドがあった。
・明治の『坂の上の雲』でいう不平等条約撤廃までの時代
・大正の第一次大戦での「大戦景気」
・昭和の後半、戦後からバブルまでの「高度成長期」(「日米地位協定」という不平等条約が撤廃できない時代)

すると、じつは「独立国」として、すさまじかったのは、大正期の「大戦景気」だけなのである。
明治期は英国の支配(これを「日英同盟」とあたかも対等だと錯覚させる)であったし、昭和の後半も「日米同盟」と、おなじパターンで支配を隠蔽している。

にもかかわらず、現代日本人の誰もが、「日米地位協定」なる、領事裁判権の放棄状態を、江戸幕府への蔑みと同等にもかんがえてはいないし、明治期のひとたちよりもその理不尽を実感することもなく生きている。

これはどういうことか?を問えば、「歴史」が受験偏差値の対象になって、日本や日本人のやってきたことの意味を、エリートほどかんがえないことがふつうになったからである。
むしろ、そんなことをかんがえる暇があったら、別の教科を勉強した方がよほど、「効率的」だからである。

つまり、そういう制度設計の中で、最高学府の選択がされているから、どんな学問を、どの学校にいる、これという教授、を選ぶのではなく、単純に偏差値で入学できるギリギリを狙い、結果的にとある学問分野を選択することになった、という順になるようにさせられている。

これで、世界の同学年生たちを相手に競争できるのか?といえば、ムリである。

それで、学習指導要領の中身を「強化」したが、受験制度を変えないので意味がなく、しかも、意味がないのを承知で改革をやったことにしている、わざとなのである。

だから、衰退のスピードはこれからもっともっと加速すると予想できる。

高度成長が日本人だれでもに豊かさを実感させたのと真逆で、こんどはだれにでも貧しさ、貧困を感じさせるようになる。

それもこれも、政治家の多くが外国(企業)のための政治をやる、「売国商売人」に成り果てたからだが、こうした連中を選挙で落選させることもできなくなったのである。

よって、経済発展の成長グラフの「山「と「谷」を意識してみれば、平成時代からずっと「谷」にあって、なんのことはない、かつての昭和の「山」を整地造成すなわち、平均化しているのである。

けれども、上に書いたように、衰退のスピードが加速するので、おそらく「平均水準」も押し下げる。

「どこまでおちるぬかるみぞ」の事態にあるのだけれど、ロープを投げて助けてくれそうななのがトランプ派だということにも気づかないのは、すでに「知能」も平均水準から落ちているからなのだろう。

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