日本企業がはまったピーターの法則

組織が無能を再生産する。

役所であろうが企業であろうが、日本を蝕んでいる「無能な管理職」は、いかにして拡大生産されているのか?をかんがえるときに、1960年に発表された『ピーターの法則』をまずは検討すべきだろう。

この本からかれこれ65年の時間が経って、より一層、「無能な管理職」は増殖的に再生産されたといえる現状をみれば、なにせ、一世代半ほどの時間の消費があっても、ピーターの法則を克服できないばかりか悪化しているからである。

結論から先に書けば、日本の場合、戦後学校教育制度の「単一リニア型」に単純延長された「単一リニア企業内昇格」で、縦系での「出世」しかなく、横系への逃がしがない窮屈さこそ最大の原因なのである。

つまり、平から班長、主任・係長、課長補佐、課長、部長、といった一直線が、すべての職場に共通となっている単純さが、「適材適所」に見合った配置を阻害しているのである。
これは、専門性をもった人材に組織管理という別種の職種を要求するのとおなじで、専門性を捨てるべく努力しないとできない相談だということでもある。

だから、最大公約数的な昇格基準がつくられる。

要は、荒削りで甘い基準となるので、本人がこの基準に合わせる強制になっている。
よって、なにもかんがえない無能こそがもっとも基準に適合しているように観察できるので、そんな人物が昇格し、限界点をむかえたある一定のレベルで止まってから、あろうことか「停滞する」のである。

この停滞は、本人だけでなく本人が任されている組織が停滞する、という意味となるので、当然ながら業績不振となる。
しかし、無能な管理職を多数抱えるに至った組織は、無能ゆえに責任を取らないので組織全体が腐敗する。

よそから見れば単純なメカニズムではあるけれど、このような環境で30年以上適合したら、たいがいの人材は当初(新入社員時代)どんなに有能でもついには無能に染まるので、いよいよトップも無能となって、一切の自発的改善が困難になるのである。

しかし、見た目も気になるのがこうした組織の特性なので、「改革」を延々とやっているつもりとなるが、ほぼ実績や効果が出ないのは、無能ゆえの宿命で、やっているふりさえしていればいい、という状況が蔓延する。

だから、「改革」をやめずに、ダラダラといつまでもスローガンばかりを考案し、印刷していればいいことになる。

これを昨今の新入社員は察知して、入社後の早い段階で退社するのはふつうに賢明というものだ。

だが、それでは企業のメンツが保てないので、無能化したトップが談合して「中途採用」の門戸を狭め、退社した同期と同じ世代を昇格させて、これまで通りの無能に染め上げる努力をする。

こうして、リタイヤすると碌なことがない状況を作り、生産性を上げることはしないできたら、とうとう先進国とはいえないまでの凋落となったけれども、今だけ、金だけ、自分だけの価値観=ニヒリズム(虚無主義)に耽っているのだった。

抜け出す方法は、ニヒリズムからの脱却という哲学レベルでの思考と意識的な行動しかない。

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