むかし一世を風靡した「演芸(お笑い)グループ」に、1962年結成の『てんぷくトリオ』があった。
生存しているのは、最年少だった伊藤四郎(1937年〜)だけで、早逝した戸塚睦夫(1931〜73年)に続いて、リーダーだった三波伸介(1930〜82年)も、いまからしたら享年にして52歳とだいぶ早逝であった。
なぜに『てんぷく』なのかといえば、先行人気の『脱線トリオ』にあやかったからだという。
1949年の下山事件から、三鷹事件、松川事件と、同じ年に三件もあった記憶が薄れ、脱線と転覆が「お笑い」のグループ名になるという不真面目さが「新しかった」にちがいない。
なんでも、『てんぷく』の命名には「東宝」の意向があったというから、今起きているUSAID事件から見て取れる仕掛けをなおさら疑うのである。
もちろん、USAIDが発足したのは1961年なので、直接の可能性もなきにしもあらずだが、1942年に設立されたCIAから東宝への指示という筋を疑った方が妥当だろう。
現実に対処しているトランプ政権2.0だが、JFKやRFK、それにマーチン・ルーサー・キングの非公開機密資料を公開する大統領令に署名が済んでいるので、案外と過去を暴くこともやっている。
日本征服期の民主党政権の悪行も、是非とも公開してもらいたいが、こちらは「まとも」日本政府からの要請でないと拒否されるかもしれない。
日本人として、日本政府がまともでないことが悔やまれるのは、民主主義の仕組みが機能していないからである。
これはどうしたことかと自問すれば、敗戦からずっと、わが国が民主党とRINOによる支配を受けて、自民党以下の政党がCIAと在日米軍とにコントロールされて仕組みが作られてきたからだろう。
予定通り7日に行われた、トランプ大統領と石破首相の初の日米首脳会談では、日本側が例によって「金満時代」の延長でしかない対米直接投資(自動車工場!)を提案して、あたかもトランプ氏を黙らせたような錯覚をもって「成功」としているようである。
しかしながら、会談の場であっさりと「イーロン・マスクやUSAID」について独り語りしたし、共同記者会見の場では、やはり「DOGEによる教育省と国防総省を調査するように指示した」とあたかも日本政府に向けて当てつけるように述べたのである。
石破氏の面前でまさか!?と思う向きは、「X」などでちゃんと情報を得ればわかる。
しかも、この共同記者会見の最後の質問、「アメリカから関税をかけられたら日本は報復するのか?」に、国内ローカル答弁の、「仮定の質問には答えられない」と官僚答弁で返して、記者たちから失笑の爆笑をくらった理由さえもこのひとにはわからないであろう。
トランプ氏は、「いい答だ!」を繰り返してまた会場からの笑いをとると、さっさと降壇したが、石破と握手どころか一瞥もくれなかったのは、「おさらば」という意味である。
帰国の政府専用機内では、外務省の役人からヨイショされて爆睡の機内の人になっているにちがいない。
日本のテレビは絶対に放送しない場面であるが、『無思考国家』を地で行く瞬間であった。
永田町や霞ヶ関の住人たちにも、1日は24時間しかないので、公式資料を優先させて読むしかない特に高級官僚には、「X」などは雑音=ノイズでしかないのである。
こういった現象を、あのミッシェル・フーコーは、『監獄の誕生』で、論理だてて論じている。
いわばどんなに優秀と評価される高級官僚であっても、たとえ霞ヶ関の役所にある自分の席だけに「入獄」したのならば、そこから得られる情報だけに依存するしかなくなり、世間から情報遮断されて隔絶するという論である。
これは、大企業の役員にも見られる現象だ。
たとえば、日本製鐵が昨年の7月時点で、どうしてマイク・ポンペオ氏を顧問に選んだのか?は、とっくに共和党の副大統領候補だったJ・D・ヴァンス氏のベストセラー『ヒルビリー・エレジー』すら役員中で一人も読んでいないことを示唆するのである。
もちろん、大統領選挙への対応も、外務省に情報分析を全面依存したと思えるほど、外している。
これぞ、権威にすがることこそリスク回避だと信じて疑わない、監獄に住まう囚人の発想なのである。
政府に依存することが、最も安全なのだ、という発想を根本的に否定する政府が、トランプ政権2.0だと気づかないことの深刻さが、わが国再興のチャンスを自ら放棄する囚人のものだと国民が自分で気づかないといけない。
トランプ政権2.0が、母犬のごとく子犬の肛門を舐めて排泄(日本政府も自分で大掃除しろというメッセージ)を促してくれている今が、チャンスなのである。
しかし、これは政権交代でも無理だとわかれば、あるいは、「お節介」に手を出せば、逆マイダン革命のごとく、洗濯し終わったCIAやらをつかって、日本政府転覆を仕掛けてくるかもしれないという、日本国民からしたら希望しかないのもまた残念な話なのである。