世界から、アメリカの「属国」だと広く認定されるに及んで、とうとうインド外相からは、「日本のようなアメリカとの惨めな同盟はしたくない」といわれたのは、もしや岸田自公政権には最大の名誉の賛辞に聞こえるのだろうかと疑ったのだが、だんだんとそんな疑いも晴れてきていよいよ本気の狂気沙汰なのだと気づくのである。
とにかく、役人にアメリカのバイデン政権を詳しくウオッチさせて、それを真似る。
なにも官僚だけでなく、民間企業の「(経営)企画担当者」とは、役所でいう「官房企画課」とかのことだから、やっていることは多岐に及ぶなんでも屋でおなじ人種なのである。
なお、ここでの議論は、組織図のはなしではなくて、あくまでも実質的な業務内容のことである。
さて、何度も『パーキンソンの法則』について言及してきたが、仕事量は役人(担当事務員)の数に比例して増える、という真理は洋の東西を問わない。
だから、「ウォッチしろ」というだけの命令でも、大量のウォッチャーが必要となって、またまた組織は肥大化するようにできている。
どの部署の責任者も、自身の担当職域を拡大させて権限をふやすことしかかんがえていないので、必然的に人員が増加するというのは、物理でいう「エントロピー増大の原理」そのものなのである。
そんなわけで、まずはアメリカでは、「機密文書持ち出し問題」の、トランプ氏が被告になる裁判で、バイデン氏(官房企画課の連中)は「大統領免責特権の剥奪」という、前代未聞の大統領令を発して、なんとしても有罪に持ち込もうとしている。
しかし、バイデン氏にも機密文書持ち出し問題が発覚して、さらに分が悪いのは「副」大統領時代のものと、もっと古い上院議員時代のものなのである。
これについて、免責特権は、はなからないため、即有罪、となりそうなのを、特別検察官は、高齢の呆け老人」だという点で「不起訴処分」として、さっさと検察官自身が辞任して逃げたからややこしくなる。
共和党が支配する、下院で、不起訴なった検事調書の元となる、バイデン氏への事情聴取録音の議会提出を、まずは委員会レベルで決議した。
本会議での結果が気になるところである。
呆け老人の呆け状態が録音から明らかになれば、現職大統領としての資格にも影響するため、ホワイトハウスと司法省は断固公開拒否を貫いているのである。
とはいえ、今年の大統領選挙をにらんで、どんな作戦が練られているのか?われわれには知る由もない。
また、今年の一般教書演説においては、「覚醒剤の使用」が疑われていて、ホワイトハウスで発見された「白い粉」の持主が、バイデン氏本人であるかもしれないのである。
これが、日本に飛び火して起きたのが、「水俣病患者との懇親会」における、音声マイクの遮断事件だとかんがえる。
だれがリークしたのか?「台本」の内容までニュースに出ているが、わたしも企画担当として、役員と管理職の議論の場についての「台本」を書いたことがある。
問題なのは、この台本には、懇親会開催の事前注意事項として、
・設定時間(3分)を越えるおそれがある場合に司会者が話者に注意喚起すること
・時間を越えたら、マイク音声を遮断する場合があること
が記述されているが、どういうわけか、当日の司会者が後者を読まなかった(読み飛ばした)ことも、唐突すぎるこの事案の原因となったと指摘されている。
台本を書いたことがあるわたしからしたら、こんなことよりも問題なのは、
・この台本を用いた事前大臣レクチャー及び当該台本使用の裁可があったはず
・執筆者心理に、どうして「マイク音声遮断」を書く素地ができたのか?
の二点だ。
大臣レクチャーと裁可は、担当役人として絶対にやっているはずであるから、責任は大臣にある、という表面的な結果論では石破茂氏の見解は正しいが、彼の論理アプローチでは政治的すぎる。
もっと、実務レベルの事実だけで大臣の責任問題は終わるはなしである。
次に、台本執筆者の心理とは、
・はなから患者団体のはなしなどどうでもよいただの「儀礼」だとかんがえている
・行政官として法に照らせば、なんら彼らに攻められる筋合いはない
が前提にあるはずで、まったく「韓非子」的なのである。
大学でいろいろ洗脳されたうえに、諸先輩の指導が役所であったのだろう。
しかして、マイクを切ることの重大性に気がつかないのは、まったくアメリカ民主党(トロツキー派)に傾倒しているからとしかおもいつかない。
これぞ、『エルサレムのアイヒマン』なのである。
もう、優秀な官僚が国家を導いている、というのは害悪にすぎない。
台本執筆者は、「行政官として」という身分と、裁量権の最大を模索することの区別をしているつもりだろうが、それが、「読み飛ばす」ことになって現れたのだと思料する。
おそらく、この司会者が台本執筆者本人であろう。
さては、内閣人事局は、彼にどんな「裁き」をするのか?
期待しないでウォッチしたいが、報じる者がいないのがアメリカよりも惨めなわが国の実態なのである。
水俣病の認定をもって誕生したのが、環境庁設立のトリガーだったのだから、この組織自体の「レーゾンデートル(存在理由)」にかかわることなのに、中の役人にはとっくに「永遠なるもの」となっているのである。
国家が永遠なるものとも思いこむ、この幼稚さは、歴史年表の暗記が「歴史」だったひとたちの歴史感覚なのである。
ローマが滅びたことも、数々の治乱興亡も、なにもかも他人事のひとたちがわが国を仕切っているのである。