最高裁判事国民審査

前にも書いたが、困った「審査」をやらされている。

これに、「もぎせかチャンネル」の茂木誠先生がタイムリーな動画を挙げていた。

まったくもって、そのとおり、なのである。

ときに、わが家へは「選挙公報」が、今月4日に届いた。
投票日が8日なので、4日前のことである。
むろん、期日前投票は「公示」の翌日、1月28日からはじまっているけれど、なるべく投票日に投票することにしている。

それで、しっかりと「選挙公報」を読み込むこともやっている。

ついでに、紙面の写真を撮ってPDFにし、念のための「記念」としているのは、後になって「公約破り」の確認にも役立つからである。

わが国の体制は、学校で習う「三権分立」になっていない。

たとえば、これも前に書いたが、「法整備を政府にもとめる国会議員がいる」ことに、国民がぜんぜん反応しない国なのである。
ちゃんと「三権分立」を意識しているなら、「骨髄反射」レベルのことになって、そんな議員は落選させるのが「民主主義」というものだ。

だが、まったくそのようなことは起きない。

一方で、ずさんな法律に対するまともな判断をするのは、最高裁判所裁判官とて無理があるから、ちゃんと「国会=立法府」で決めろ!という判決を下すのは、法理にかなっている。

けれども、差し戻された側の「国会」を仕切る、与党がこれを無視することが、これまた「いつものこと」なのである。

ようは、国会が立法府の仕事をしない、「利権調整の府」に堕落しているのである。

むろん、わが国は、「閣法」がメインの法案なので、「議員立法」しかないアメリカと比較することもできない。
これは、地方自治体もおなじだから、役人が企画立案した政策を首長が提案したことにして、議会は「追認」するだけの場になっている。

すると、国家運営の仕組みの構造が、そもそも「民主主義」ではない。

「法の番人」が最高裁判所裁判官だと学校で教わるが、その番人を選ぶのは誰か?が、よくわからないのである。
いちおう、「憲法79条」に記載はあるが、「内閣が任命」とあるだけで、だれが候補者リストを作成して、そのような基準で選ばれるのか?は内閣に一任されているのである。

さらに、そうやって任命された裁判官が、その後の衆議院議員総選挙のときに、「国民審査をうける」ことになっているので、任命のタイミングによっては、判決を一度も出していないので「判断に困る」ひとが、まな板の上に乗ることとなる。

それでもって、次回の審査は「10年後」なのだ。

つまり、もしや「ヤバイ人物」だと、審査後の判決でわかっても、国民にはなにもできない制度となっていることに注意がいる。

そうやってかんがえると、わが国の根幹にある「憲法」からして、民主主義の衣をまとってはいるが、中身は民主主義を軽んじているのだとわかるが、こんな怪しいポイントを「改憲」議論ではまったくスルーしているのも、わが国の政治シーンにおける日常なのだ。

すると、この国の運営は、恐ろしいほど「テキトー」な構造なのだとしれる。

そうはいっても、とにかく一票を投じることしかできないので、雪道を投票所へと向かうのである。

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