「用語」の問題としていえば、原丈人(はらじょうじ)氏が唱えている概念のことで、「株主資本主義」からの転換を誘っているそうである。
このブログでは、現代までの人類史で、資本主義が成立していたのは「江戸期から明治は日露戦争まで、と、敗戦後の混乱期+高度成長のはじまり時期までの日本だけ」だと捉えていて、欧米他の外国で、「資本主義(社会)」であったことなどないのではいか?とかんがえている。
唯一の例外は、わが国よりも早く「滅亡」して、似たような境遇の敗戦ドイツだけだろう。
ために、アイン・ランドがいった「資本主義とは未来のシステムである」に賛同している。
では、アインランドがイメージした「資本主義」とはどんなものか?と問えば、ほぼ「公益資本主義」のことをいい、ただしく資本主義社会を構築するには、構成員全員に高い「道徳性」があることを前提としているのである。
そのような道徳性を有した国民がいたのは、17世紀から19世紀末までの日本人と、生真面目なドイツ人しか地上に存在しなかった。
なので、原氏が付けた「公益」の文字そのものが不要なのはいうまでもなく、逆に、これまで「資本主義(社会)」だと信じ込まされてきたことが、「エセ」なのである。
ずいぶん前にも書いたが、そもそも「現代」を「資本主義(社会)」だと定義したのは、マルクス=エンゲルスであって、これらの不誠実な輩は、自分たちが勝手に「理想」と決めた「共産主義(社会)」から、空想上で演繹して現実にありもしないない「資本主義(社会)」を、これまた空想的に批判しただけであった。
そして、こうした空想を「科学的」社会主義だと強弁したのは病的である。
ここで、「資本主義とはどんな主義のことか?」ときかれて、「定義」を即答できるひとがほとんどいない、ということを確認したい。
じつは、資本主義に、一致したその成立理由の理論的解明もないのは、そんな主義が存在しないからである。
ちなみに、「定説」といわれる、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、日本人の若手学者によって「犯罪」として論破されている。
このマルクス=エンゲルスを源流(じつは、ジャン・ジャック・ルソーなる狂人だが)とする手品のような「理論」に、コロッと騙されたのが、世界のインテリゲンチャ(世間知らずの頭でっかち)であったから、次にカネも暇もある彼らがおおいに宣伝してあるかされ、あたかも現代の社会矛盾がぜんぶ「資本主義のせい」だと社会の洗脳にエネルギーを費やしたのである。
これを、革命家を名乗る権力亡者の詐欺師は「役に立つ白痴」といって、内心で軽蔑していたから、革命成就の折には、全員が「粛正」の対象となり唯物論のとおり「物」扱いされて「処分」されていったのである。
しかして、その矛盾だらけの現代世界とは、中世の気分のままの、強欲な者が勝てば官軍の未開社会のままであって、これをいまは「強欲資本主義」とかとうそぶいているのだが、そんなものは「資本主義ではない」のである。
ために、「保守」を装うことでビジネスにしている、「ビジネス保守」という詐欺師たちは、あたかも「左翼ではない」ことを偽装しているだけで、根っからの「役に立つ白痴」にほかならない。
だが、これらの者共が権力と結託して、社会を騙したした人為で、ほとんどの人々が、いまを、資本主義社会だと信じ込まされて、資本主義を憎むように教育されている。
まさに、感情をコントロールされているのである。
そして、やっぱり敗戦ドイツで先行したように、生真面目なドイツ人を「先進性=道徳」だと信じ込ませて、大量に移民を受け入れることを「国是」としたら、生真面目なドイツばかりの「ドイツ」という国が、内部崩壊して修復不可能になった。
これを、おなじ敗戦国のわが国でも強力に推進しているのが、参政党と日本保守党を除く全政党の一致した言動となっていることは注目に値する。
そんなわけだから、「日本がすごい」とか、「伝統と現代が融合している社会」とかと、ヨイショ動画にあふれているのは、日本人の日本は強固な結束力で、移民であろうがなにがあろうが決して壊れない、という大ウソの宣伝をやっているのである。
じつは、社会はガラスのようなものだから、一度壊れるともう元には戻らない。
それを承知で推進できるのは、後から責任のとりようがないこともしっているからである。

