RFK.Jrが、本当に上院で承認されるのか?については、意外と楽観論がある。
古巣の民主党に、支持議員がいるためだという。
けれども、ノーベル賞受賞者たち70人ほどが、「就任反対」の文書に署名する妨害が、あたかも、でっち上げだった「ロシア疑惑」を煽った諜報関係者たちの署名文とおなじく発表された。
かくも「曲学阿世」ぶりを示さねばならぬほどの圧力を、研究費のスポンサーから受けているのか?と容易に想像させるあからさまをやってでも、阻止したい、というのは、「業界」のむき出しの貪欲さ=利益・業績主義、すなわち「株主資本主義」なる、資本主義とは別物がアメリカを蝕んでいるのである。
もうひとつは、トランプ共和党の「勝ち方」が、歴史的だったことの影響で、あからさまに「反トランプ」を表明することの選挙リスクは、たとえ民主党の牙城というニューヨークやカリフォルニア州にも広がっているのである。
そんなわけで、RFK.Jrの上院承認における攻防は、ますます尖鋭化している。
RFK.Jrは、医薬品や食品に関する「科学的知見」については素人だ、という批判が根強くあった。
しかし、彼は本業の「弁護士」として、製薬会社や食品会社に対峙して、依頼人からの訴訟で勝利してきた数多くの実績があるのだ。
当然ながら、専門家を証人として法廷に立たせた上でのことだから、そのへんの浅い意見をかじって発言しているものではない。
「薬害」を拡大解釈すれば、「食品添加物」も薬品なので、人体への影響は無視できないし、化学肥料や農薬も、ぜんぶが「薬品」だといえる。
アメリカは、それでも規制が厳しい方であるというのは、ユルユルのわが国と比べたら、という日本人には深刻な困ったがあるからである。
さらに、薬品ではないが、「遺伝子組み換え作物」や、「放射線をあてた作物」など、安全性についての長時間観察ができていないものについての「許認可としての安全性」がいわれているのも、どうかんがえるべきなのか?
法律の世界では、「疑わしきは罰せず=疑わしきは被告人の利益に従う」があるけれど、安全性の議論では、「疑わしきは排除の対象にする」ことが重要だ。
とはいえ、その「程度問題=許容範囲」の設定が難しいのも事実だろう。
たとえば、太古からの食習慣にまつわる、体質のちがい、は確認済みのことだ。
数千年間コメを食べてきた縄文人の子孫たる日本人には、小麦のグルテンを消化できない問題(腸管癒着と炎症)が指摘されているし、農耕使役用の動物を食料として認識しなかったので、牛乳すら消化が困難な日本人は現代でも25%ほどもいることがわかっている。
この意味で、日本人を主たる対象とする「健康管理」とは、日本人の体質管理という意味とおなじになる。
なので、人種のるつぼとしてのアメリカにおける管理が困難なのは、各人の体質把握が困難だからでもある。
それで、便宜的に「人種」での分けがあるのは、健康管理の視点だけでいえば「合理的」だったといえる。
しかし、人類の共通として、たとえば、「砂糖」や「トランス脂肪酸」の害がわかってきた。
これらが小麦とあわさってできているのが、クリームサンド・クッキーで、商品名だと『オレオ』をターゲットに「禁止」するというのがRFK.Jrの主張として報道されている。
RFK.Jrが問題視しているのは、この商品だけが問題だといいたいのではなくて、「子供がターゲット」だという、「食育」にかかわることだからだという。
世界最大のハンバーガーチェーンにしても、飲料メーカーにしても、はたまた製菓メーカーにしても、とにかく「子供」に味を記憶させることで、一生の消費が約束される「おいしさ」があるのである。
しかし、これらの企業に、製品販売上の制限をする、というのは、なかなかに強権的ではあるが、国民の「健康」と、「医療費削減」のためには避けては通れないことである。
そうなると、イーロン・マスクや ビベック・ラマスワミが、A.I.を用いて、どれほどの悪影響かをアメリカ国民個人への情報提供として使われることだって遠い未来ではない。
そのために、プラットフォーム企業への根本的な情報提供のルールが改善されることを前提とすることが、「風が吹けば桶屋が儲かる」ほどの関連性から、大テーマになるのである。
これは、過去の「グルメ=美食嗜好」に対する、重大な転機をも予想させる。
舌のセンサーから伝わる脳による「味」への転換結果としての、「うまい」ではなくて、全身の細胞が欲するものが「うまい」になるから、脳の判断をいかにするか?という研究が、価値観の転換と共に巨大な利益を生む可能性がある。
しかし、その前に、贅沢三昧な旅先やらの食事こそが、否定の対象になるかもしれないのである。
もちろん、一次産品の提供者も、従うべきものが大転換させられることになるだろう。
その最先端の教育の場が、「農業高校」なのである。
いまどきの「普通科」がどれほど人生=生活をする上で役に立つのか?は、おおいに疑問であるのは、「大学予備校化」のためであるが、だったら「予備校」に通った方が、よほど「理解させる工夫」が実施されている。
むしろ、わたしが気になるのは、「消化」や、「ミトコンドリアのエネルギー回路」の詳細を、化学をもってしることの重要性なのだ。
農業が目指す「食料」とは、人間にとってなにか?を根本から理解することが、上に書いた大転換が起きることへの「備え」になるからである。
こうした知的活動が、本物の健康ブームをつくるにちがいない。