梅は咲いたが梅干しは大丈夫か?

江戸の梅の名所といえば、湯島天神であろう。

先月、同境内には早くもしっかりと花をつけた木があったし、神奈川県大船のフラワーセンターでも、冬の閑散とした園内に梅がポツリポツリと咲いていた。

4日の「立春」を過ぎて、いよいよ近所の梅の木もだいぶ花を付けている。

そこで気になるのは、ここ数年「不作」だった梅の実が、今年はどうなのか?なのである。
あんまりの不作に、昨年は小田原・曽我梅林の農家でも青梅の「傷梅」を売ってくれなかった。

むろん、梅干しの高騰もある。

わが家では、青梅・完熟梅のどちらでも、ただ梅肉を煮る(塩も砂糖も加えない)だけの「梅ペースト」を作る「梅仕事」をしている。
昨年は10㎏を仕込んだが、半年で完食したので、今年は20㎏を仕込みたいとかんがえているけれど、また不作、だと気が重い。

「梅干し」は、そもそも中国から「薬」として伝わったというが、例によって、日本人は日本的な進化をさせてきた。

そんな歴史に思いを馳せると、「梅干し博士」を思い出す。

國學院大學の樋口清之教授は、毎朝一粒の梅干し茶を飲む健康法を提唱し、歴史学者としての人気は当代一流だった。
わかりやすい解説で、受験とはまったくちがう「歴史」を楽しみながら教えてくれたのである。

塩が血圧を上げるというのも近年になって否定されたし、過度に低い血圧コントロールはかえって寿命を縮めるという一方、梅干しの酸味はクエン酸のものなので、酸化し錆びる人体を体内でアルカリになるクエン酸で中和させることの科学は、いまや常識になったのである。

樋口教授はよくNHKにも出演していたが、司馬遼太郎の勝手な解釈(後年「司馬史観」なる噴飯ができた)とはちがう、しっかり根拠がある解説に感心したものだ。
この意味で、当時のNHKには、すでに二系統の制作陣があったとおもわれ、樋口派が衰退し、司馬派が興隆した残念がいまにつづく。

司馬遼太郎を「国民作家」と呼ぶのは、危険なことである。

さてそれで、なぜか梅干しといえば「紀州・南高梅」がブランドになっている。
この梅は、粒は大きいが、皮も厚いので「梅酒」や「ペースト加工」にするにはいいが、「梅干し」には本来向かない品種である。

小田原・曽我梅林名産の「十郎梅」や、横浜杉田にあったかつての名産「杉田梅」が、最高峰といわれるのは、その皮の薄さにある。
杉田の梅林が住宅街になるときに、小田原の農家が苗を引き取って、いまでは「名産地」とすべく増殖に努めている。

ときに、2001年10月に、「食品表示法」が改められて、「原産地表記」が厳格化されるという「当然」になった。
それまで「加工地」が国内であれば、「国産」表記ができたけれど、以来、「原料原産地」をもって表記しないといけなくなった。

ために、国内で販売されている「梅干し」は、半量が「中国産」表記になったのである。

これで、ひらきなおったのか?国内加工もやめて、中国加工としたのはコスト低減からの経済的な帰結である。
それで、安価な「中国産」と、高価な「国産」とに分離した。
なお、「南高梅」の栽培も中国でおこなわれている。

そんなわけで、今年も梅仕事を国産梅でやりたいとおもうが、おもうとおりの量が確保できるかどうかがまだわからないのである。

昨年は、紀州で「雹」が降って、国産南高梅がほぼ全量「傷梅」になった。

今年こそ豊作を願いたい。


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