行政の「横浜市」は、いまでも「国際都市」という枕詞をつけているけれども、市内でみかけるおおくの外国人に居住資格はあるのか?という疑問の方が先に立つ「国際化」になったので、北関東の地方都市と似たような状況にあるのではないか?と危惧している。
「横浜開港」がされたのは、1859年のことであったから、ことしは166年だという程度の浅い歴史しかない。
けれども、輸出入規模で「世界一の港」だった時代は長くあったことも事実である。
6月2日は、横浜開港記念日として、「市立」の学校は高校まで「休校」となる。
ことしは、10年ぶりに開港祭りが31日から2日までの三日間開催となるようだが、民間パワーの衰退で、むかしのような華やかさに欠けるようになった。
港ができたので、「貿易商」が、横浜に店を構え、発展して大企業化したのちも「本社」を横浜に置くことが多数あったが、「名市長」ならぬじつは「迷市長」だった、飛鳥田一雄時代に、法人地方税の増税をやって、こぞって東京に本社移転させることをやった。
ときの都知事は、美濃部亮吉で、「革新」の仲間だったから、わざとだろう。
こうして、横浜は「産業空洞化」して、東京は「一極集中」となったいまの原点がある。
これをマクロ的に「効率化」の面で評価することもあるし、横浜「衰退」の面で失敗とすることもある。
なんにせよ、横浜駅の脇から、桜木町駅にかけての広大な面積に、「三菱重工横浜造船所」があって、国鉄京浜東北・根岸線と東急東横線の高架線路で一般市街地と造船所がみごとに仕切られていた。
なので地上からはよく見えず、電車に乗ったら、どんな船が造られているのか?を観るのが楽しみだった。
それが、「みなとみらい」なる、陳腐なネーミングの再開発地域となって、横浜市都市計画局が計画したら、いまのような陳腐なビル群ができた。
はたして、港湾局が主体なら、もっと「マシ」な開発をしただろうと地団駄を踏むのは、映画にもなった「ハマのドン」である。
横浜駅から徒歩でもわけはないが、みなとみらい線「新高島」駅の横にあるのが、「京浜急行電鉄本社」にある「京急ミュージアム」である。
この先、桜木町方面にすこし歩いた先には、「村田製作所」の子供向け体験施設「Mulabo! 」がある。
なお、「旧横浜村」があった砂州の上にある、海岸通りに日本郵船の「歴史博物館」があったが、改修工事で2027年春の再開を目指していて「休館中」だ。
企業博物館の中でも規模と内容では一級なのだが、再開を待つしかない。
そんなわけで、「京急ミュージアム」と「Mulabo! 」を訪ねた。
京急ミュージアムは、事前予約が必要なシミュレータ操作を無視すれば、プラッと無料で入館できる。
名車と呼ばれた「デハ230型」の実物復元車両には、京急の歴史がわかる展示品があって、そのなかに昭和15年『京濱・湘南電鐵沿線案内図』がある。
「注意」として興味深い文章があったので下にしるす。
「三浦半島は要塞地帯に付許可なく水陸の形状を測量・撮影・模寫・録取することは禁じられてをります犯したる者は法律によりて處罰せられます『護れ要塞 防げよスパイ』」
なお、地図には、稲村ヶ崎の西側から大仏円覚寺・建長寺をとおって、屏風ヶ浦と杉田の間を、「要塞地帯區域線」が太く表示されている。
調べてみたら、「要塞地帯法」(明治32年法律第105号)がでてきた。
戦後に効力を失ったらしいが、『防げよスパイ』の一文が、妙に今様なのである。
「Mulabo! 」は、子供向けとあるけれど、併設するカフェがこの周辺では秀逸なのである。
むろん、ご近所の「資生堂パーラー」を意識してのことである。
それに、展示がどれも「電気・電子」の解説なので、なるほどという想いが高まる。
カフェが秀逸なのは、第一に、カフェの機材が素晴らしいのである。
こんな機材を使ったカフェを民間でやるのか?とおもうほどの、「高級機」ばかり、しかも「最新」なのが、「さすが!」なのである。
第二に、壁際に子供向け理系の図書が並んでいて、閲覧自由なことである。
おとな向けもチラホラあるので、このカフェはリピートしたくなる。
いくつかの本を、市立図書館の蔵書検索したらあったので、別途貸出を受けたい。
展示エリアの受付嬢も、安くて空いていますと奨めてくれた。
メーカーは、お客の顔が見えない商売であるけれど、鉄道会社も個々の客はみていない。
「流体」としてみているのである。
だから、こうした施設が企業戦略上、じつは最重要な位置づけになるものだ。
直接的な利益ではなく、なかなかカネでは買えない「信頼」を得ることができるからである。
こうした施設を巡ると、企業(経営者)の性格も見えてくるのである。