11日配信の『週刊文春電子版』で、横浜市人事部長が告発した、「市長のパワハラ」(犬飼淳氏の会見全容)が話題になっている。
これに、一期目に立候補した山中竹春候補の「落選運動」をやっていた、あの郷原信郎弁護士(元検事)が解説している。
このなかで、キーとなる人物は、横浜市旭区選出の自民党市議(元市議会議長、自民党市議会議員団長)である佐藤茂氏が山中氏擁立の「応援団長」だと名指ししている。
旭区以外の他区からすると、山中氏擁立は立憲民主党の側にあったように記憶している。
「カジノ選挙」であったし、これに反対する立場からと、自民系の分裂(現職の林文子氏と菅政権で現職の国家公安委員長だった小此木八郎氏)が立っていたことをチャンスとみたのが、江田憲司衆議院議員(神奈川8区:緑区、青葉区)であった。
ちなみに、菅義偉氏は小此木八郎氏の父、小此木彦三郎衆議院議員の元秘書であったので、故中川一郎の秘書から「裏切って」国会議員になった鈴木宗男氏と、どうもイメージが重なってしまうのである。
それで、落選した小此木八郎氏は、そのまま政界を引退した。
そんなこんなで、初当選した山中竹春市長については、このタイミングで書いているけれど、まったく「パワハラ体質」について変わっていないところがまた、山中氏の「顔」にあらわれている。
むろん、今回の件で、江田憲司氏も佐藤茂氏もまだコメントしていないようだ。
製造物責任をきいてみたい。
今後も、マスコミは面白おかしく書きたてて「リンチ状態」にしていくのだろうが、告発した人事部長の言い分に引っかかりがあったので書いておく。
むろん、わたしは山中氏応援団ではない。
第一の引っかかりは、「市議会」や「市会議員」にも言及していることである。
上で郷原弁護士もハッキリと指摘しているように、市長のバックに市議会のドン的な人物がいるために、自民党議員たちが沈黙するのは想像内だが、立憲民主党(労組)の推薦があるためか、その他の政党からの声も聞こえてこないのである。
けれども、それ以上に引っかかるのは、人事部長の「越権」だとかんがえるからである。
ここに、わが国の地方制度設計上の大問題がある。
本来の「二元制」が、「行政一元制」に変容していて、だれも不思議とおもわないからだ。
「市議会」は、法に準ずる「条例」をつくることができる「立法機関」なのであって、行政監視の役割は「その一部」にすぎない。
そこで、「特別市」を目指すなど、とんでもないことなのである。
だが、エリート役人も市議会議員も、市議会の役割は「監視だけ」だとおもいこんでいるらしい。
この「議会軽視」こそが、大問題なのである。
残念ながら、わが国の体制が欧米基準を全面輸入したために、150年経っていま、制度疲労がはじまっている。
しかし、「全面輸入した」はずだけど、明治の賢人たちが後発の強みから、美味しいどころ取りをやったがために、英国式、フランス式、ドイツ式、そして戦後はアメリカ式が混在した。
いわば、昭和の保守論客が正しく指摘した「ぬえ(鵺)=妖怪」のような制度になっている。
この典型は、国会の構造が良くも悪くも「二院制」をなんとか保持したが、地方はぜんぶ「一院制」となって、国の議院内閣制となじまない地方の二元制が、国の役人に都合のよい「行政一元制」になったとかんがえられる。
つまり、明治とはことなる天皇抜きの強力な中央(官僚)集権制となっている。
この点で、アメリカの「二院制」を基礎におくのとぜんぜんちがう。
アメリカでは、市議会でも「一院制」が珍しいのである。
しかも、行政に予算編成も政策提案も要求しない。
行政は、議会権限で決まったことの「執行機関」にすぎないからである。
だから、民主主義なのである。
わが国は、市長を選ぼうが、議員を選ぼうが、発案するのは役人なのである。
それで、山中氏は、その役人の発想が市民目線かどうかをチェックするのが自分の立場だと主張しているのだが、このこと自体が「正しくない」ことに問題がある。
市長は一神教の神ではないから、職員個々人の発想までコントロールできっこない。
つまり、それがパワハラ体質そのものとなるのである。
しかし、この人事部長も、以上の問題意識の欠如で、会見では「市長の人格を問わない」とはいいつつも、人格がちゃんとしたひとなら、だれでもいいと役人発想むき出しに考えていないか?
とにもかくにも、肥大化する一方の行政に対抗できないのは、議会軽視の思想が蔓延する国民体質の中にあるので、山中氏なる怪物があらわれるのはその具現に他ならないし、市民の無関心(投票率の低さ)の結果ブーメランなのである。

