ずいぶん前、中年になって若い部下に、何気に「時間って残酷だよね」といったら笑われたことがある。
自分もこのひとの年齢でおなじことをいわれたら、おなじ反応を示しただろう。
若さとは、時間が永遠だと勘違いできる人生の幸福な時間帯の一部なのである。
日本人は、学校で「日本史」と「世界史」をわざと別々に扱っているために、世界=ヨーロッパ(列強)に遅れていると思い込まされている。
しかし、よくよく調べると、文化的には日本が先進国でヨーロッパが後進国だったことは間違いないし、いまもヨーロッパは文化的に日本に追いついていない。
シュペングラーの『西洋の没落』の帯には、文化の廃退が文明を起こし、文明の廃退が治乱興亡の原因となってやがて終焉を迎える、とある。
この例外的な国がわが国で、あんがいと日本文化はしぶとく残っていて、日本文明に堕ちたが西洋文明の絶望とはちがって、いまだに踏ん張っているのである。
物質文明という一点で、いっときヨーロッパが先行したが、それも日本が素早くキャッチアップして今に至っている。
これができたのは、江戸期の文化が華咲く安定のおかげである。
この現象を、エマニュエル・トッド氏が人類学における家族構造をもって説明している。
それはあたかも、日本研究にたどりついたレヴィ・ストロースの再来をおもわせるのである。
英・仏は、基本的に核家族を基本としてきた民族なので、英から派生する米国も似た構造になる。
英・仏とは犬猿の仲だったドイツは大家族を構成していたし、イタリアもマフィアのファミリーをみればわかるように家族主義なのである。
なので、日本が独・伊と同盟したのは、特異なことではない。
東ドイツ出身のメルケルがロシアと組もうとしたのも、ロシアが大家族主義を共産政権下でも曲げなかったことに由来する。
すると、日本とロシアも本来的には親和性が高いとわかるし、中国の農村部も同様なのである。
なお、中国は農村部から都市部への移動には本来「国内パスポート」が必要なので、都市部は農村部からしたら「別世界」であることに注意がいる。
むろん、彼の地の農村部には少数民族が政府が認定している数で「55」もある。
ちなみに、広大なロシアには200以上の言語がいまも使われている。
ところが、中国も、ロシアも、「少子化」が深刻で、両国ともいまや政府発表でも特殊出生率はわが国と同じ1.4になっているために、将来の人口減少は避けられない。
それで、ロシア軍は貴重な若者を消耗する、スターリン時代の強引な人海戦術を用いずに、「北」からの兵員を受け入れたのである。
現代の危機すなわち、生活者にとっての残酷とは、宗教を失い社会規範を破壊した「市民社会」が、あたかもローマ帝国における「平民」に堕ちたことによる。
ローマの平民は、周辺属国からの搾取で生活していたので、周辺属国へのコントロールを失ったら、滅亡しか道がなかったのと似ている。
東・西分裂の原因というゲルマン人の大移動しかり、東ローマ滅亡のトルコしかりである。
気がつけば、世界の生産力は、日本を含む西側諸国から、BRICsへと完全移行している。
なんと、西側諸国は、ただの「お山の大将」に過ぎなくなっているのが「現状」なのである。
しかし、いったん移転した生産力を元に戻すことの困難は、たんに投資だけの問題ではなく、労働への価値回帰という、より感情的な困難が立ちはだかるのである。
すでに、「平民」に堕ちたかつての市民あるいは庶民は、労働を棄ててカネを得る方法に価値を見出してしまったからである。
ことにアメリカの困難は、基軸通貨ドルの無限の発行による「信用創造」に依存したために、労働が絶望的な価値となって、とうとう自暴自棄なひとたちが多数になったのである。
それが、かつての「WASP:白人、アングロサクソン、プロテスタント」の崩壊による、白人労働者層であって、彼らは有色移民に労働者の地位を奪われてしまい最下層になったのだ。
そして、この共産化した最下層を煽っているのが民主党なのである。
副大統領に抜擢された、J.D.ヴァンスの出生がその最下層だったから、哲学の学位を持つJ.D.ヴァンス氏が、どういった社会復興回帰策を打ち出すのか?あるいは、打ち出せるのか?が21世紀後半の人類に及ぼす影響が注目される理由である。
明治期でも、戦後の高度成長期にも、経済成長を牽引したのは、ぶ厚い中間層=労働者層の存在であったように、中間層の育成は経済成長の基として世界的な原理となっている。
わが国は、とっくに江戸の都市部と農村部で、横溝正史や手塚治虫が描いたようにすでに別世界であったのも、家族構成による文化の基盤があってこそなのである。
ここから、社会を混乱させるには、中間層の破壊=意識的な政策としての没落こそが、もっとも効果的なのである。
よって、経済単位の基になる家族破壊のための政策が急いで考案されて、選挙の争点にさせないまま「法律」にする手がつかわれている。
この破壊がいま日本を含む西側先進諸国で功を奏しているために、貧困化と格差拡大の残酷な時代となっている。
これを抜けるには、少子の時代の貴重な子供に従来の学歴追及をさせることではなく、戦後放棄した「人間教育」なのだが、特権階級と化した支配層に不都合なためこれをさせないでいる。
しかして、中間層の労働意欲に頼るのも順番がちがっていて、そもそも職場の提供がなければはなしにならない。
先進国から職場が消えたのは、リカードの「比較優位説」をそのまま無防備に実行し、「要素価格均等化定理」が作動したからだ。
あるべき準備は、科学技術教育の強化によるエンジニア育成が一番なのだが、手を汚さずに稼げる弁護士やら金融に「稼げる」という理由で人材を抜かれている。
しかし、A.I.が、これらの業務をこなすようになれば、いずれは困窮化が待っているのである。
その意味で、文明のマザーたるA.I.の開発エンジニア、あるいは、どうしてもセンサーが把握できないために、メカトロニクスを駆使しても再現もできない「(伝統的)手仕事」が現時点での最強職になるのではないか?とかんがえるのである。