大統領選挙イヤーの10月には、かならず双方の陣営から「おびっくり」すなわち、「オクトーバーサプライズ」があるといわれている。
これがなにか?事前に予測も予想もできないのは、予期せぬ結果、すなわち、「付随的結果」ばかりだからで、それゆえに当事者たちにもなにかがわからないからである。
今回、もしやバイデンがトランプ支持を表明するのではないか?との憶測がでてきたのは、ホワイトハウスでスタッフ同士の殴り合いの乱闘騒ぎがあった?と伝えられていることからの連想ゲームである。
当事者は、大統領側スタッフと、副大統領側のスタッフだったらしい。
組織をつくり、これを動かすのは人間だけである、という基本中の基本がある。
どんなに科学がすすんでも、組織運営そのものは人間がやるしかない。
しかし、この基本を忘れる努力をするのが、共産主義、すなわち、「唯物論」である。
また、共産主義はその唯物論をもって、唯物史観なる、「歴史法則」を真実だと主張する。
法則なら、放っておけばよいものを、現状の破壊活動を通じてやった結果を「法則」だというのである。
しかも、その破壊活動にあたっての組織運営も、人為としての権力闘争までやるのである。
カール・ポパーの主著、『開かれた社会とその敵』(全四巻、岩波書店、)の、後半の二巻が昨年10月に「新発売」になっている。
その副題は、「にせ預言者-ヘーゲル、マルクスそして追随者」だ。
もちろん、トロツキー派に乗っ取られたアメリカ民主党は、その「追随者」にふくまれる。
なので、この組織はマルクス唯一の真理である、「人間を疎外する」のである。
つまり、組織運営において人間の感情を無視する。
それを、「科学的社会主義」だと言い張るところが、もう「空想」でしかないのだが、世代を超えて気づかない愚がある。
どうやら、むりやり再選から降ろされたバイデンは、自分をおとしめた組織に恨み骨髄に徹するほどお怒りらしいのだ。
それで、自分からサッサと乗り替えた、カマラ・ハリスを敵認定したとみられる。
まさに、カソリックのバイデンは「肉食の文化」を激発させている。
これが双方の忠実なるスタッフにつたわって、乱闘になったなら、納得の場面である。
大統領選挙は、激戦各州における勝敗でぜんぶが決定する。
日本のマスコミがさかんに「全米支持率」を言い立てるのには意味がない。
むしろ、投票日直前になって、激戦州のなかの細かい支持者データがあきらかになってきた。
白人至上主義だとレッテルを貼ったトランプの、黒人やヒスパニックの支持が過去最大級の伸びをみせて、さらに若者層からの支持と、労働組合まで加わっている事実に民主党幹部たちに激震がはしっている。
ここにきて、ヒラリー・クリントンが、マスコミはトランプ派のウソを封鎖せよと絶叫したことを、イーロン・マスクが真っ正面から、「言論統制ではなく言論の自由をまもるのがトランプだ」とやり返して、トランプが敗退したら自分は刑務所に入れられるとも発言している。
そんなこんなで、からなずトランプよりも上回っていたはずの社会調査データが、ここにきて歴史的逆転をしていることで、民主党内はパニックになっているという。
そのために、当初マスコミ単独インタビューを回避してきた選挙戦略を転換し、カマラ・ハリスの露出を増やす、イチかバチかの勝負にでたのである。
しかし、カマラ・ハリスをこれまで露出させなかったのは、本人の無能から支離滅裂な言動が仇となると警戒したからで、いまさら慌てて出しても逆効果ではないか?
じっさいに、口を開けばウソばかりの言動に、鉄板の民主党支持者たちが嫌気をさしている。
それでもホワイトハウスでカマラ・ハリスの単独記者会見を準備して、開始数分前の直前に、なんとバイデンが「就任以来はじめて」、報道官室(=大統領会見場)に登場し、カマラ・ハリスの会見をすっ飛ばしてしまった(中止になった)のである。
なぜなら、副大統領会見場にいた記者たちが、大統領会見場にこぞって移動し、だれもいなくなったからである。
これはもう、現職大統領による大統領候補者(現職副大統領)への選挙妨害である。
なんだか、呆け老人を邪険にするととんでもないしっぺ返しがくることをみせてくれたから、孤独な世界の老人にバイデンは喝采を受けているかもしれない。
こんなザマに嫌気を露わにしているのが、あの極左CNNだ。
もう、カマラ・ハリス批判がとまらない。
宿敵トランプを倒すには、役不足も甚だしいとイラついて、その欲求不満行動が肝心のカマラ・ハリス本人への攻撃に向かうという本末転倒をやっている。
どんな選挙方法だったかを含め、予備選挙で圧勝したバイデンをむりやり降ろした事実と責任を追及せずにいながら、それでも民主党幹部を批判できないおとなの事情があるのだろう。
ようは、鬱積した不満を爆発させているのは子供が地団駄を踏むようではあるが、もしや脳内物質の制御ができないのは、ファストフードばかりを食べてミネラル不足になったからか?
デカルト以来、「理性」を前面にして、論理(唯物論)だけでやってきて、人間性を無視する浅はかさを露呈するのは、左翼のお家芸なのであり、それがかならず内紛から内ゲバになるのは法則ではなく「性(さが)」であるし、「業(ごう)」ともいうのは、このひとたちのなかにある欠損した人間性の結論なのだ。
これは、世界の指導者を決めるアメリカ合衆国大統領選挙でのサプライズというよりも、世界に蔓延しているグローバル全体主義の内紛であることが、サプライズなのだし、ざまぁみろといいたい歴史的帰結なのである。