17日、参議院での議論で、「帰化後に帰化取り消しの要件がない」ことを指摘した野党議員が、政府に「要件整理の法整備を要求する」というわかりやすい「立法事故」があった。
これが、わが国の国会と国会議員の実体なのである。
結論から先に書けば、立法府における議員の仕事は「立法」そのものなので、「法案」を書くのは議員の仕事の「核」にあたるが、そうはならないのがわが国だということがわかる。
なお、このニュースに対するネットでの反応は、「内容」の話ばかりで、上述のような議員の職務に関する話題がないのもまずいことなのである。
役人が起案して、内閣法制局で審査された「内閣立法」がふつうで、議員が起案して国会両院それぞれにある「法制局」のサービスを利用して上程する「議員立法」がほとんどない実体は、田中角栄を例外としている歴史がある。
角栄を「不世出」の政治家というのは、その豪胆さとか判断力とかのことではなくて、この議員立法の「成立本数」をもってしていわなければならない。
法案の数、では他に劣るが、通した数=法になった数では圧倒的なのである。
外国の例ともなれば、当然にアメリカ合衆国議会の例が比較対照となる。
だが、単純比較できないのは、アメリカ合衆国の場合は、全法案が議員立法という当然があるので、そもそも「内閣立法」にあたる、「大統領立法」という制度すらない。
トランプ大統領が、「大統領令」をさかんに出しているけれど、これらはみな、「行政命令」であって、わが国にたとえれば、「政令」にあたるのである。
アメリカの三権分立は、法律をつくるのはもっぱら議会の役割なので、大統領府やら他の行政府が「法案」を策定して、これを議会に上程して議論すること、そのものができない。
そもそも、議会を代表する下院議長(上院議長は副大統領のため)からの、「招待状=許可証」がなければ、大統領は連邦議会の敷地内に入ることすら許されていない。
ために、トランプ大統領が、大統領令では利き目のない「法律」を欲するならば、共和党の議員にはたらきかけて「法案」を書くばかりか、「成立」してもらわないといけないのである。
ピューリタン革命と名誉革命をやった英国にならった「議会制内閣」を明治期に採用したわが国は、135年前の1890年(明治23年)に初めて帝国憲法による議会が招集されたのだけれども、ようは、明治元年から23年間、議会がない=選挙がない国だったのである。
これが、いわゆる「薩長閥」というもののはじまりだが、現石破内閣も、あんがいとこの延長にある。
ひろく、長州=萩藩=毛利家の領地を解釈すれば、関ヶ原で西軍の総大将になった毛利は中国10カ国を支配する大大名だった。
石破氏の地元、島根も旧毛利領だし、岸田氏の広島もおなじ、ましてや安倍氏は萩藩の出だし、いまの官房長官は萩市が選挙区だ。
これに、党を仕切る幹事長の森山氏は、鹿児島=薩摩の出なのである。
「藩閥」といえば、薩長だけでなく「土肥」を加える。
「土」とは土佐=高知だし、「肥」とは肥前=佐賀である。
安倍氏の祖父、岸信介やその実弟の佐藤栄作は、長州出身そのものだし、対抗した吉田茂は、土佐の板垣退助の腹心、竹内綱の5男坊であったのが、福井藩士の吉田健三(ジャーディン・マセソン商会初代日本人支配人)へ養子に出されたから、元を辿れば土佐なのである。
そんなわけで、藩閥は絶えずに続いているのがわが国であって、それもこれも英国の歴史とは関係のないわが国に、「英国式体制」を取り入れたことの計画的ボタンの掛け違いによっている。
それがまた、ジャーディン・マセソン商会がロンドンで面倒をみた「長州5:井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)」の画策があってのことなのだ。
この見事な投資効率。
残念だが、現国会は自民党の絶対的安定多数から、せっかく少数与党になったとはいえ、ちょっとした野党による「(国民不在の)裏切り」で、予算が通る怪しさにあふれている。
国民民主の主張が通るかとおもいきや、維新のスリヨリでディールが成立して、予算が年度内通過したのはこのためである。
しかして、本稿冒頭の質問と政府への要請は、その維新の議員によるものだった。
一方で、維新の本拠・大阪では、おなじ維新の参議院議員が事実上の「除名扱い」となったのは、国会で大陸の隣国に対する厳しい質問姿勢を崩さないことへのお仕置きだった。
いきなり「無所属」にされた当人は、今後どうするのか?と、その去就が注目されている。
しかるに、国会議員の院内議員活動として、いったいどんな質問やら法案への賛否を投じたのか?についてのまとまった報道がされたことがない、のもわが国のマスコミが「ゴミ」である証拠になっている。
もちろん、「選挙公報」にも書かれることはない。
この意味で、総務省が管轄する(中央)選挙管理委員会という政府内組織からも、また首長が関わらないとする教育委員会とおなじ(地方)選挙管理委員会も同様に「腐臭」が漂うのである。