活動家が学者をやっている

ロシアから無期限入国禁止処分を受けた学者が、その「突然のこと」に戸惑いを隠せないでいるものの、特段自分の人生に関係ないとうそぶいている姿が痛々しい。

こういった人物たちの「解説」のおおくは、いわゆる「オールドメディア」に出演することで、一般人への訴求を図る目的があってのことだといえる。
だが、現実とあまりにかけ離れた「ご希望」ばかりなので、ぜんぜん役に立たないプロパガンダ同然となっている。

それでもって、日本独特の社会的に高い認知をされている「受験難関校」の教授職を肩書きに持つ共通性もあるのである。

はたして、高校生がこれらを観て、ほんとうにこうした教授たちのもとで学問追及をしたいとおもうのか?と問えば、やっぱり偏差値による学校選択のうえでのなんとなくと、テレビにでている有名な肩書きからうっかり履修届けを出して洗脳をうけることでの「運命的出会い」となっているにちがいない。

さすれば、それはそれで、迷惑なはなしである。

まず、専門家であれば、ロシア政府がどのような人物を入国禁止の対象とするかぐらいの「研究」があっていいのに、「突然のこと」というのは間抜けの告白ではないのか?
しかも、「研究者」が、研究対象の国へ入国できなくなったことを、「特段自分の人生に関係ない」というのもおかしなことで、「研究人生」にとっての死活問題ではないのか?

だが、それが「関係ない」というのは、現存する机上の資料だけでの研究をしている意味だから、痛みがない、とすれば、これまたずいぶんトンチンカンなはなしなのである。

ようは、研究職を装った、活動家(政府のプロパガンダ要員)であると告白したも同然なのである。

この意味で、ロシア政府による「調査」の正当性すら感じるのは、なにもわたしだけではあるまい。
つまり、ロシア政府は、研究者の研究成果を評価をしていて、それがたとえ「反露」であろうが、論理に矛盾がなければ受け入れる姿勢すらあるのである。

たとえば、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授がそうである。

むろん、このひとの論調は、反露一辺倒の側から観たら「親露」ともとられかねないが、まったくの中立的立場からの論考を発表していることに気づけば、これぞ「国際政治学者」の最高峰といわれる根拠がわかるだろう。

逆に、ロシアが入国禁止にしたわが国の学者に、このような論文ないし論評があるのか?と問えば、ぜんぜんないのである。

むしろ、たいした証拠もなく、「ご希望」を述べることでの「反露」を繰り返していれば、それはもう、入国禁止をくらっても仕方がない、といえる。
もしや、ロシア側は、入国して調査してほしい、と誘ってはいなかったか?と疑いつつ、これを冷ややかに断ったという経緯はなかったのか?とまで疑いたくなる。

あんがいとロシア人というのは、慎重で、論理を重要視する民族なのである。

あたかも、一方的な通告を出しまくっているようにみえるのは、その経緯をだれも報じないことがあるからだ。

そうやってかんがえると、わが国に「国際政治学者」を名乗って、国際的に通用する者がいるのか?を問えば、いない、という、ただでさえ「政治学」なる学問が存在するのか?疑問だらけの応えがあるだけで、それはもう、活動家が学者の仮面を被っていることでしかないのだった。

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