夏といえば海水浴だったのは、いまはむかしとなったようである。
かつて1日で100万人が集まった、三浦海岸や湘南江ノ島海岸は、三浦海岸で海の家が営業中止となって、江ノ島では海の家風の海浜バーの風情になっている。
少子化もさることながら、さいきんの若者たちは日焼けや潮水のベタ付きあるいは砂にまみれてスマホが使えないなどの理由で、かなり海水浴を嫌厭し、いるのはかつての若者たる中高年ばかりだという。
それで、4日、この暑い最中に我が家のテリトリーだった片瀬江ノ島西浜に行ってみた。
月曜ということもあるが、まばらな状態が予想通りだったけれど、客引きで声かけしてきた若者との会話で、世代のちがいを実感した。
ここ数年の体験で、「これがふつうの人出」だというのである。
そこで、上の昔ばなしをしたら、逆に驚かれたのである。
一日で100万人!?ありえない、という。
砂浜も海の中も、ひとで埋まっていた光景が想像できないらしい。
まさにイモ洗い状態だった。
いまは、子供がチラホラいるが、母親は波にさらわれるのをおそれて、服を着たまま波打ち際までにしかいかせない。
それに、砂浜で甲羅干しをしているのが、あんがいと白人女性だという発見もあった。
ただ、引き潮ではあったが、なんだか砂浜から海までの距離が縮んだような気がする。
これも相模川のダムの影響か?
もっとも、わたしが子供時分にはなかった、境川沿いに長く堤防が張り出した「片瀬漁港」ができたために、泳いでいけた江の島大橋が遠くなって、もちろんその分砂浜の海岸線も短くなったのである。
片瀬西浜の海の家は、陸側の間口も開かれている構造で、これは昔ながらではあるけれど、江の島大橋の鎌倉側に展開する東浜は、道路とフラットに作った小屋が点在してバーになっているだけでなく、浜に建つ海の家も陸側が閉じられている構造だった。
これは、風が運ぶ砂を入れないための工夫なのか?
海に対しての角度が変わる江の島に近い側のそれは、西浜と同じ構造なのである。
歩きやすい陸側から海の家を覗きながらぶらぶらしていたら、上で書いた若者に声をかけられた。
バーカウンターが空いていたからここでモヒートでもやろうとおもったが、冷房がない空間がむかしとちがって耐えられそうもないことに気づいた。
せいぜい30度から32度だった昔が、40度近くなるとキツい。
なるほど海が嫌われるのは、暑すぎる、という異常が通常になってしまったからか?
それで、せっかく来たからと江の島島内のむかしから世話になっている食堂にむかった。
島の入り口広場はひとでごった返していて、海水浴客ではないひとたちで溢れていたが、その多くは外国人、なかでも中国人が目立った。
大不況というのは嘘なのか?それとも、日本への移住者なのか?判然としないが、食堂の客の半分以上が彼らだった。
これも、昔にはなかった光景である。
しかし、食堂の女将さんやらすっかり高齢になった店員さんたちは、ぜんぜん平常で接客しているから、これもなんだか今様なのである。
写真付きのメニューだから言語対応はできなくとも、おそらく注文はかなり限定されるのだろう。
もちろん、客側がスマホの音声翻訳アプリを駆使して、日本語で話す練習をしてから注文をするという、われわれも外国でやることをしていた。
それにしても、この暑い江の島に、なにを観光しにきているのか?を聴いてみたくなる。
海水浴でないことだけは確かなのであった。