無能だから祭り上げられる

1969年に発表された『ピーターの法則』は、1958年に発表された『パーキンソンの法則』に次ぐ大発見といえる。

パーキンソンの法則の場合、「第一法則」と「第二法則」とに分けることがあるのだが、支出の額は収入の額に達するまで膨張する、という第二法則は、パーキンソン氏が暮らした英国の地方都市における「市債発行不可能(法によって禁止)」という、ご当地の事情からの法則なので、市債発行ができる日本の場合には膨張がとまらないという不適合となっている。

それに、どの国の政府(「大蔵省」や「財務省」と呼ぶ)も「国債」を発行して、これを中央銀行に売って、中央銀行は政府の口座残高の数字を書き換えるだけで当該国の通貨発行量が増えることになっている。

経済学者は「お札を刷る」というが、現実には残高を書き換えるだけの単純作業である。

それで得た現金を、民主国の場合は国会が承認した予算から使うだけ使う使命の政府は、とにかく年度内に使い切る、ことを行動目標にするのである。
昨今、政府万能主義のような幻想や依存が流行っているが、政府は予算執行というおカネの使用=消費と、法による支配の執行しかできないことを過剰期待と過剰評価をしているのである。

経費予算を100%使い切ることは基本的に民間企業でもおなじで、売り上げ予算がいくら達成できなくとも、社内官僚たちによって経費予算は100%使われるので、結局「赤字」決算になるのである。

そこで登場するのが、「第一法則」の、仕事の量は完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する、フレーズが光るのである。

つまり、経費とおなじく、ある特定の仕事量(「経費」は金額で表記)が見積もられて、それに見合った「人員数」の配置がされるが、いったん配置されるや、(無駄な)仕事量が増え(あるいは意図的に増やし)て、場合によっては「人手不足」を演出し、翌年度にはさらなる増員が図られるのである。

そこで、どちら様も、ついには「人員削減」を実施するはめになる。

そして、ここに、「ピーターの法則」が登場して、組織内の階層は無能な人間で埋め尽くされる、が発動するから、経費削減とおなじく、無駄の定義ができないままに、「必要経費」と「必要人員」も削減してしまう。

「経営資源」の適正管理という発想がないために深刻化するのである。

そんな無能な経済界からの要請なのか?議員にも当選回数という階層がある政界の政治家にピーターの法則が作動して、無能な人間が「祭り上げられる」という現象が起きる。

平時なら、まだ出世の余地がある(無能レベルに達していない)官僚が支配することでなんとかなった時期(「昭和」へのノスタルジーの正体)もあったが、とうとう最後の階層も無能に埋め尽くされたので、にっちもさっちもいかなくなったのである。

しかし、無能しかいない中から選択するしかない、との無能による思い込みが、破滅的な人事を選挙を通じて行うという、学校の生徒会よりも悲惨な状況になったので、識字率が高い国民の怒りを買うこととなった。

過去には「未曾有」を、「みぞうゆう」と読んだ人物が、いま、キングメーカーらしき態度でいることの違和感も、国民の識字率の高さが原因なのである。

それゆえに、こんな政権が続くと、この先に起きるのは、国民の識字率を低下させる教育方針が打ち出されるにちがいない。
もちろん、エリート層の子女の教育は、一般人とは別のシステムに置き換えることも同時に実施することでの「社会的階層(日本では「上級国民」という)」の固定化を画策するであろう。

これは、ネットでの言論統制の後の段階で起きると断言できるのである。

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