熱川の「東伊豆町立図書館」

個人的に住居のある横浜から近いといえば近いが、半島のアクセスの悪さからあんがいと敬遠してきた地域が熱川である。
子供のころに『バナナワニ園』を見学したことがあって、下田回りで一周旅行をしたっけかなぁ、という程度だった。

「伊豆半島」が、そっくりそのまま「ジオパーク」になっているのは、かつて太平洋に浮かぶ「伊豆島」が、フィリピン・プレートに乗って『ひょっこりひょうたん島』のごとく、50万年前に本州とぶつかって「半島」になったからである。

衝突地点の三島には、「三嶋大社」がある不思議。
どうしてここに建立したのか?地質研究からも明らかな場所選択に驚嘆するしかない。

その衝突からできた地面のシワが、南・中央・北という三本ジワの「日本アルプス」となっていて、まだ止まらない伊豆島の押す力で「南アルプス」の隆起は地球上で最大の年間4ミリという大きさだと「リニア工事の件」にからめて書いてきた。

世の中には伊豆半島をしょっちゅう訪れるひともいるだろうけど、熱川から先にはめったに行かなかったのが我が人生で、初となる熱川宿泊(連泊)滞在をやってきた。
「中日」は、町立図書館に行って「郷土史」をチェックする時間つぶしをやってきた。

私世代(還暦)以上なら、ほぼ誰でもしっている「熱川」といえば、花登筐原作のテレビドラマ、『細うで繁盛記』だろう。
うろ覚えのひとでも、あの強烈なキャラクター「正子」を演じた、冨士真奈美さんの捨て台詞は記憶にあるにちがいない。

その冨士真奈美さんは、三島の出身だったために、「伊豆弁」のキャラクターと合致したのである。

ちなみに、蔵書検索すると、ドラマ上の現地である熱川(東伊豆町)よりも、三島市立図書館の『銭の花』(『細うで繁盛記』の原作小説)コレクションに軍配があがる。
全巻のうち「欠本」が、一冊しかないからだ。

原因は、この当時の「製紙」にあって、インクの乗りを良くするため、という理由から、硫化アルミニウムを添加してしまったことにある。
それで、空気中の水分と紙の硫化反応で、「硫酸」を生成して紙自体の構造を破壊するのである。

ために「50年問題(崩壊にかかる時間)」として、なぜか日・米共通の出版文化財保護における大問題となっている。

これに、『銭の花』も該当しているので、全巻が揃っている神奈川県立図書館では、「全巻閲覧不可」という状態にある。
製紙業は、静岡県富士市の産業だから、伊豆半島からすれば対岸でのことが影響しているともいえなくはない。

山だらけの伊豆半島では、平成の大合併なる行政区域の無理やり廃統合をやって、この国をあたかも無機質な「行政区画」にしてしまった。
それでも巨大な行政区とならず、あんがいとこぢんまりとしているのは、おそらく人間の仲が悪いからだと推測できる。

昭和34年にできた「東伊豆町」は、「稲取町」と「城東村」の合併ということになっているが、その「稲取町」は「河津の庄」で十戸あった各家は「みな姓を異にし」とあるから、素性がちがう人たちで成り立っていた。

江戸時代は幕府直轄で、幕末から明治の廃藩置県までの領地は水野出羽守(千葉の菊間藩が沼津城を明け渡しされた)であり、さらに足柄県を経て明治9年に静岡県稲取村となる。
それで大正9年12月1日、稲取町となった。

城東村も、「河津の庄」にあって、その後、「白田村」「片瀬村」「奈良本村」「大川村」であったが、明治22年に合併して一村となっている。
江戸時代は幕府直轄であったが途中、小田原城主大久保家にあったものの、廃藩置県で、白田、片瀬両村は韮山県、奈良本、大川の両村は菊間県となっている。

熱川は、奈良本村にあたる地域だ。

それで、図書館では『東伊豆町誌-町制施行30周年記念誌』(平成元年3月31日)を眺めていた。
ちなみに、令和になった現在、これの「続編」はなかったのも印象的だ。

「町」という行政がつくった「正史」であるから、そこにいる人間模様が描かれていない恨みがある。
近代の行政記録における「無機質」は、おそらく人間を「経済人:ホモエコノミクス」と定義するまちがった思想が背景にあるからにちがいない。

この意味で、時代を書いた「小説」が時代考証の重要な資料であるという、NHKドラマ番組部シニア・ディレクター(時代考証担当)の大森洋平氏が、獅子文六の『箱根山』(ちくま文庫、2017年)に寄せた「解説」が説得力のあるはなしになっている。

索引もないのが残念だが、ざっと半日眺めていて、『銭の花』に関する記事は2カ所あった。

全国に熱川を知らしめた超高視聴率ドラマの効果が、どれほどの町の宣伝になったかは、計り知れないだろうに、とは思いつつ、癌による死期を覚った花登筐は作家としての遺書にあたる、『私の裏切り裏切られ史』で、その熱川のすれて冷たい住民たちの性格をコケ卸していて、作品の舞台を西伊豆は「土肥」に映した経緯も説明している。

なるほど、人気作家と舞台となった地元との軋轢の記憶が、この無機質な表現のなかにさらに埋め込まれているのか?と、すこしだけ「人間味」を感じたのである。

その横には、「東伊豆町老人クラブ連合会」が作成した、やっぱり30周年記念の文集『歴渦-激動の昭和を生きて』があった。
発行年は、平成6年とある。(1994年)

主に後期大正生まれの方々が綴った、戦争の記憶文集なのである。

その執筆者名の前に、地域が書かれているのは、山谷のなす地形が人間行動の範囲を決定づけることを示している。
「正史」に対する「副読本」としての価値は、期待以上のものであるけれど、明治生まれも加わってもっと早くに「村の生活史」を残していたら超貴重であったろうに惜しまれる。

冷房の効いた空間を占拠できるのは、贅沢なことだが、知らない町の図書館という空間は格別の価値をもっているのである。

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