昨年12月の「アメリカ国家安全保障戦略」で、「ヨーロッパとは価値観をおなじくしない」と書き切った、トランプ政権2.0であるが、いちおうヨーロッパに含まれるだろう「英国」のスターマー政権には、「英語の読解力が欠如」していることもわかってきた。
そればかりか、「英連邦」を構成している、カナダとオーストラリアも、同じレベルの英語力だとしれて、それぞれの英語力がある国民には唖然としていることだろう。
これはこれで、アメリカが民主党であれ共和党の政権であれ、自分たちを見棄てることなんかありえない、といった、「超」がつく『甘えの構造』があるからにちがいないために同書の英語版もでているのだろう。
しかし、国際政治のリアルからしたら、本が売れようが売れまいが、深刻な問題を引き起こすのは「政治」だからで、困ったことにグローバル化で当該国民だけでなく世界が迷惑する時代になったのである。
これを、戦後世界を支配してきたグローバル全体主義者たちからしたら、トランプ政権の「迷惑」といいたがるので、あたかもそのように信じ込まされているのだけれど、じつは逆であることに注意がいる。
さてそれで、「ヨーロッパとは価値観をおなじくしない」とはなんのことか?といえば、「言論の自由」について、これをないがしろにしようとすることへの批判がはじまりなのである。
それがいまや、批判だけでなく「制裁」を伴う政治の力がはたらきだしている。
元は、バイデン政権による言論統制の試みであった。
SNSを基軸にしたものではあったが、イーロン・マスク氏が「Twitter社を買収」することで、首の皮一枚でのセーフとなったのは全人類のしるところであろう。
また、はじめは「TikTok」を禁止しようと動いたトランプ氏が一転して、これを大統領選挙でつかうことに決めたのは、「TikTok」を禁止している本家の中共を徹底的に「悪」と定義したことの論理の一貫性を優先させたからであった。
Twitterを買収してから、社内文書やらの公開で、当時の幹部が全員責任をとらされることにもなったし、バイデン・ホワイトハウスからの強力な言論統制アプローチがあったことも宣誓つきの議会証言で判明した。
これらホワイトハウスの犯罪は、「合衆国憲法違反」として、いまもくすぶっている問題なのである。
むろん、憲法を守らなければならない人間とは、一般国民ではなく「公務員」なのだから、当時の責任者追及はかならず実行されるだろう。
そんななか、英国で極左スターマー労働党政権が、Twitterから名称変更した「X」への規制を強化しつつあり、はては「禁止措置」へと、ブラジルのように発展する可能性もおびてきた。
そして、上に挙げたように、カナダとオーストラリアが追従しようとしているのである。
つまり、「脱アメリカ(トランプ政権2.0)」という政治ムーヴメントが「英連邦」でおきつつある。
当然ながら、EUも同じ穴のムジナであるが、こちらは昨年中に5人もの元職をふくむ情報管理責任者が、アメリカ入国禁止措置なる制裁の発動をうけている。
産業が衰退・疲弊したいまの英国では、おそらく、唯一の「産業」といえるロンドン「シティ」の金融市場に対して、ベッセント財務省がどんな締付けを実施するかが今年の注目点になるだろう。
フランスは、マクロンが農民一揆に屈服して、来年の大統領選挙に不出馬を宣言し、みごとなレームダック状態におちいった。
ドイツは、欧州ブラックロックの会長だった、メルツの頭の悪さに唖然とするばかりだが、これにカナダはイケメンだが無能のトルドーから、肩書きはあるがもっと無能のカーニーが首相の座にあるのも不可解なのである。
むろん、オーストラリアも左翼政権(労働党)である。
そこで、これらの国々からの「エクソダス(国外脱出)」が密かに起きていて、その目的地のひとつにわが国がある。
アジアや中東移民の問題がいわれてはいるが、白人系もいるのは、日本がこの世の楽園だと気づいたからだ。
元来、怪しかった「日英同盟」も、英国側(当時は文字どおりの世界覇権国)からみたら、その目的の邪悪さがみえてくる。
そもそも、英国人はいまだに「法の支配」を、自国の法「だけ」だと解釈していて、他国の法を無視する体質がDNAにある野蛮人である。
だから、現代の「日英同盟」の裏にある英国の目的をしっかり探らないと、中共がいうように、何度でも日本人は騙される、ことになるのである。
アメリカのトランプ政権2.0に泣きついたところで、「おとな」のトランプ政権2.0は、自分で決めたことだと突っぱねることになる。
「成人式」がとっくに形骸化して、「元服」のような緊張感もなにもない、お子ちゃまたちの祭典に変容して久しいけれど、グローバル全体主義であろうが、ナショナリズムであろうが、自分で決めたことが取り返しのつかないこととなっても、戦後のアメリカ依存の発想のままでいたら、痛い目を見る時代になっている。
この意味で、米・英の歴史的決別とは、日本へ「成人」になれという当たり前すぎる要請にほかならない。

