アメリカと英国が仲良しだとおもっている日本人はおおい。
この両国は連合国としての敵だったから、たしかに米・英がセットであるというイメージになるのはしかたがないことではある。
だが、そもそも英国を追い出された人たちが移民して住み着いたのが「新大陸」であったし、最初の13州ができた経緯もそれぞれの物語がある。
もちろん、アメリカが建国したのは、英国との「独立戦争」に勝ち抜いたからで、そのきっかけとなったのが、「茶への課税問題」だったことは有名だ。
日本には理不尽な税金が山ほどあって、国民があんまり文句をいわないでいたら、とうとう奴隷扱いされるまでになったのに、昨今やっと気づきはじめたのとは格段の差がある。
「自由貿易」が有利なのは、リカードの「比較優位説」とはちがって、英国と同じ「貿易立国」のための政治が優先したからである。
その英国は、「インド・モデル」を植民地アメリカに持ち込んで、とうとう「南北戦争(内戦:Civil War)」になったのだった。
幕末・維新から同じ島国の英国に学んだわが国は、東アジアの大陸とアメリカそのものを、「インド・モデル」に見立てて外貨を稼ごうとした。
それが、「絹」だった時代は許されたが、「重工業製品」になったら、軋轢がおおきくなったのである。
これは、アメリカでは奴隷を使って「プランテーション(農業)」をやるアイルランドからの移民が貴族化した南部と、鉱工業の北部とでは儲け方がことなって、あくまで英国目線からしたらライバルの北部工業地帯を潰したいし、南部の「インド・モデル」こそ利益の源泉だという構造だったのと似ている。
これが理由で英国は、南北戦争の南部にたっぷりと一方的な支援(たとえば軍艦の供与も)をしたのは、いまのウクライナ支援と話の根幹構造も似ているのである。
こうした「当事者ではない第三国からの徹底支援」のために、かえって戦争の期間が長引いて当事者の若者の犠牲者が増えるという、当事者たるアメリカ側の悲惨になったが、こういうことにぜんぜん責任感のないのが英国という国の支配者たちなのである。
ただし、ウクライナにおける英国の野望は、ロシアを疲弊させたうえでのロシア天然資源を強奪することだから、現在の価値観的には妄想が過ぎるが、エリツィン時代の「おいしさよもう一度」という意味で、薬物中毒の禁断症状のような「欲にまみれた」妄想なのである。
これに、アメリカ民主党が乗ったのは、同じ穴のムジナ同士だからである。
つまり、アメリカと英国が仲がいいというときの「アメリカ」とは、アメリカ民主党のことで、この党と対抗するアメリカの「旧ホイッグ党」=「現共和党トランプ派」とは、ぜんぜんウマが合わないのは道理だ。
もちろん、リンカーンは共和党だし。
すると、日本の立ち位置が困った。
1985年の「プラザ合意」からの円高で、日本の鉱工業は見事な空洞化をきたし、海外生産に転じ、そのために貿易収支の黒字ではなくて、資本収支の黒字という「構造転換」を強いられてしまったので、成功の「インド・モデル」が古くなったのである。
ところが、もっと悲惨なのが英国で、ロンドンのシティを中心とする「金融立国」部分だけが残ったために、ポンド安が認められない。
しかし、これで国内産業は壊滅したから、失業者があふれても、就業先がなく、とうとう「福祉国家依存」という悪夢が現実化した。
それが、スターマー労働党政権である。
英国政治史からしたら「超短命」だった、トラス政権が「産業立国」へと軌道修正を試みたが、「金融立国(シティ)」の妨害で、政権まで潰されたことを、最近はトラス女史自身が「DS」の仕業だったと証言し、トランプ政権2.0への期待を発信している。
ようは、日本も英国に追随して、東京をアジア金融の中心にするという英国型に失敗したおかげで、まだ円安の効用があるかに見える。
しかし、トランプ政権2.0の「保護主義化」で、ドル安を容認するはずなので、再び円高の時代がやってくるだろう。
日本人にとって、円安がいいのか?円高がいいのか?
製造大企業の見解は、為替に関係なく「海外進出」することだった。
それで、自社製品を直接現地人の購買力を高めることで販売したい、という思惑である。
つまり、リカードの比較優位説ではなくて、ヘクシャー・オリーンの「要素価格均等化定理」の方がだんぜん重いのである。
突きつめれば、日本資本は日本を棄てたのである。
それで、アメリカで利益を得るには、トランプ政権2.0下ではアメリカに工場をつくらないといけないけれど、それでどう採算をとるのか?
まったくもって、「要素価格均等化定理」の時代が続くのである。
すると、先月15日に英国が正式加盟した、TTPが「ブロック経済」としての意味を持つ。
これが、EU離脱後の英国にとって、つまり、スターマー政権の強気の源泉かもしれない。
ならば、「TPPはアメリカの陰謀だ」としていた日本の論客のトンチンカンはなんだったのか?と同時に、それでどうする?になっている。