ウクライナでの戦闘で、まだウクライナ軍が有利だとかいっている日本人インフルエンサーが存在している。
当初から、ロシアとウクライナ双方の軍事(いまどきなら当然に「総合的国力」)をぜんぜん分析していないことの、愚かな話によくも大勢の人たちが付き合っているものだと呆れる。
しかし、一方で、元自衛隊将官クラスのOBたちも、三軍(陸・海・空)揃って、やっぱり似たようなことをもっともらしく垂れ流していた。
背景にどんな事情があるのだろうか?と疑うのは、「まとも」なご高齢のお一人と、陸将補だったお方の二人がしっかりとした分析を申し述べておられるからである。
まぁ、退官後の時間が経って真にしがらみのない方と、管理者として鍛えられた方の二人だと思えば納得も行くが、それにしても(情けない)、なのである。
基本は「三軍」といっても、アメリカ軍には、海兵隊と宇宙軍があるし、正確には沿岸警備隊を加えて「六軍」あることになっている。
とはいえ、歴史的に軍隊の筆頭が「陸軍」なのは、地上戦の結果が決め手になることに、いまも昔も変わりがないからである。
すると、どうしても「国力」には、経済力と人口が評価の対象になって、とくに人口は、動員できる「兵の数」を決める基準となる。
たとえば、かつて「アラブの盟主」を自負し、周りもこれを認めていたのはエジプトだが、それはアラブ諸国で最大の「人口=陸軍」を抱えていたからである。
しかし、そのエジプトの経済が破壊されて、かつてのような見る影もないのは、40年で3倍に増えた人口(1億1千万人以上)を食わせる経済力を失ったからである。
ウクライナとロシアでは、圧倒的にこれら両方ともに差がありすぎて、当初からロシアに勝てっこないのがウクライナなのである。
それを、あたかも最新装備だからとかなんとかいって、ウクライナ有利と論を張ったのは、軍事専門家としても、経済専門家としても大恥になったのである。
圧倒的な国力の差が、太平洋戦争(わが国の法的に正式には「大東亜戦争」)での、アメリカに勝てっこない「無謀な戦争」、という戦後に定着した評価をウクライナにはなぜかあてはめないのも、ダブルスタンダードではないか?
とはいえ、もちろん、わが国に「勝機」はあった。
第一に、開戦しないことだった。
それで、しつこく戦争を仕掛けるアメリ政府の策謀をアメリカの国民にしっかり説明しながら、わが方は「忍の一字」を貫くことで、世界にアピールする時間が必要だったのである。
この点で、戦前の外務省・在米日本大使館は、「宣伝」が下手すぎた。
また、アメリカ政府への「宣戦布告文書」の提出が遅れ「だまし討ち」と評価された野村吉三郎駐米大使とは、近衛文麿が海軍大将から抜擢した軍人の特命全権大使だったのである。
ここにも、日本海軍の怪しさがあって、東京裁判でひとりも被告となっていない。
第二に、『ファウスト』でいう、「メフィストフェレス」にあたる、ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)のヒトラーと、ファシスト党のムッソリーニ(極左すぎて社会党左派を除名され、グラムシの共産党からも無視された)と、手切れをすることだった。
しかし、すでにエリートで固めた日本の外務省・軍(とくに海軍)は、「目先の損得勘定」にだけの興味しかなかったのである。
むしろ、近衛文麿のごとき共産主義者が、「ソ連化」を進めるために、国家破壊活動としての「負け戦」を画策していた。
さて。少なくとも、最新のハイテク兵器であればあるほど、使いこなすための訓練が必要で、素人の兵がすぐさま使えるようにはならないのは常識である。
これは、戦車も戦闘機も、ドローンとて同様だ。
ただし、日本兵の武装は「三八銃」という、日露戦争で使用された「超・旧式」だった。
この理由は、「実績と信頼」だけで、三菱ジェットが失敗したり、日本のロケットが超・高価な理由として、いまどきありえない旧式部品をムリクリ調達させる、「お役所仕事」の成果なのである。
ソ連時代、少ないメモリーでも楽しめるテレビゲーム、『テトリス』が世界的ヒットしたのは、真空管技術で世界一だった東芝が倒産の危機に見舞われたのとはちがう、プログラミング時代のはじまりだった。
酷寒に住まうロシア人は、なにせ我慢強くて工夫する、あたかもかつての日本人のようなのである。
しかも、稀代の戦略家にして歴史家・法律家である、プーチン氏が仕切っている。
わたしには、荒巻義雄原作の戦記シミュレーション小説、『紺碧の艦隊』と『旭日の艦隊』における「指導者」を彷彿とさせるのである。
一方、アメリカはその経済繁栄のために、「兵員不足」が深刻化している。
軍よりも稼げる仕事が民間にあるからだ。
さらにバイデン政権のアフガン撤退に見せたムダに、軍人家系の家(エリート士官の家だけでなく下士官も)も息子を兵に出すのに腰が引ける状況をつくっただけでなく、軍内に最新の「虹色政策」を導入して、ヘンテコなジェンダー兵団になってしまった。
もはや、「定員」に対しての兵員募集がぜんぜん間に合わない状況に陥っている。
それでもって、やたら「カネ」がかかる、ハイテク兵器の開発ばかりやっていて、たとえば「世界最強」のはずのエイブラムス戦車をウクライナに提供し、現場投入したがいまどきのドローンやらにぜんぜん歯がたたないので、とうとう現場からはずしてしまったのである。
なにせ、実践での動くカタログとしての意味で、販売不振になるのをこれ見よがしに世界に見せた阿呆ぶりなのである。
兵員数でかなわず、最新兵器が役に立たない、アメリカの戦争屋とEU=NATOの「想定外」で、もうどうにもならない状態を(第三)世界が観ているのである。
さてそれで、そんな弱体化したアメリカ軍に、全面依存しているままの状態で、なにもかんがえずに生きているのがすでに「無敵」化した日本人だ。
これから、食料もなくなって、食うや食わずになるように政府によって仕向けられていることにも気づかない家畜たちは、後がない状態のヤケのヤンパチでの「無敵」になる可能性が高い。
どうせなにもしなくとも、最期は死ぬしかない人生なのだと、やっと気づくからである。
それで、生きた証としての「名誉」という価値に気づけば、それはそれで「無敵」である。
一方で、かつてのアウシュビッツのように、政府による屠殺場にきっちり列を乱さず並んで殺されるひとたちと、反抗して戦闘的なひとたちに分裂するのはまちがいない。
そうかんがえると、夏休みが終わった子供たちが不憫でならないのである。