原口一博・元総務大臣が訴えられたことのラッキーとは、訴えたお菓子屋さん側がまもられるべきことを証明しないといけないことが重要だからである。
つまり、その核心は「安全性」に尽きる。
一方で、アメリカでは、連邦議会証言での「偽証」の疑いで、ファウチ博士を逮捕させようとする動きがある。
しかし、彼が機能獲得実験をさせた研究所から、ウィルスが漏れた、という説を採用していることの問題もある。
はたして、あの病気の蔓延の原因ウィルスは、本当に存在したのか?
この件に関して、上の根本的な疑念を発信しているのが、徳島大学名誉教授の大橋眞博士(細菌免疫学)であると書いてきた。
なお、徳島大学は大橋名誉教授への「アンチ」が湧き出たことについて、逃げの説明文をHPに挙げていた。
ありもしない病気を、ものすごく流行しているようにみせかけたのかもしれないという疑念は、いまさら高まるばかりなのである。
だから、どこであれ「起源説」は、どれも怪しい。
これを、「プランデミック」と、「計画行為」という意味をこめて造語した。
大ベストセラーになった、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』では、生きていることとはエネルギーの流れであると定義した。
そこで、大橋博士がいう、エネルギーが波であることからの「波動」を重視するのは、理にかなっている。
またそれを、日本の古武道である、柳生流に見出すとは、また驚くのであるし、それが徳島に残っていることも不思議なのである。
一方で、首都圏にも入る山梨県は、昨年、人口減少・流出の「日本一」となった。
その前には、空き家率の日本一もあった。
これを、交通・地理系のユーチューバーが、『山梨県の発展は絶望的』という動画をアップしている。
関西圏で似たような立ち位置の、「奈良県」を比較の対象にしているのも興味深い。
また、国際的な目線だと、サウジアラビアが脱石油戦略として、「観光立国」を目指すということの暴挙を、「モハPチャンネル」さんがアップした。
サウジアラビアに観光に行く?とだれかに誘われてふつうに「行こう!」とはならないのは、観るべきものの想像がつかないからである。
もちろん、イスラム教徒なら、「メッカ」や「メジナ」に一生で一回でも巡礼したいというのはあるだろうけど。
当然ながら、サウジアラビア政府も、巡礼者の安全性を確保するために、いまでは「許可制」となって、人数制限をしているのである。
これは、世界のイスラム教徒が、巡礼したいと思えば実現できる経済力を持ってきたことも、おおきな原因だ。
逆に、イスラム教徒以外で観光するなら、アラブ首長国連邦のドバイまでがいいところではないのか?
山梨県には、富士山も身延山もあるから、なんだかすこしサウジアラビアと似ているが、地場に根づいた主だった産業がないという自然の摂理から抜け出せないのも、「物質的」な観光資源に固執するからではないのか?
もっといえば、サウジアラビアと似ているのが、「国家依存」な点に集約されるのである。
ドバイが成功して、サウジが遅れを取った理由は、ここにある。
つまり、「自由経済」という視点が抜けている。
計画経済がダメで、自由経済が発展するのは、そこに向かうエネルギーのちがいが決定的だからなのである。
すなわち、大橋博士のいう「波動」を強くするか弱くするかの差のことだ。
国家依存した山梨県は、コロナの規制も厳しかった。
アメリカに依存せよといいたいわけではないが、来年のトランプ政権2.0による革命的な変化の本質を山梨県民が理解できるのか?という、根源的な能力が試される、と上から目線が空しいのは、日本全体に「政府依存」があるからである。
この根源的な理解力とは、哲学的なレベルでの興味という意味である。
抽象的なものと具体的なものとの、行ったり来たり、を思考することが、戦後の「受験教育」では壊滅的になったので、おおくの日本人が「具体」のなかだけで思考するようにさせられて、一向に根源的なはなしについていけなくなったのである。
そんな日本人を代表して、石破氏が二度も、みごとに「予算が通過しなければ(国会を)解散する」といったので、まさか来年は春早々に「総選挙」があるやもしれず、さらに夏の参議院通常選挙とダブル選挙になって、「憲政史上初」の、1年で三回もの総選挙が挙行される可能性を否定できなくなっている。
その背後に、トランプ政権2.0がそびえ立つ。
ドイツでは、2月の総選挙前に「AfD禁止法」を可決する動きがあって、あたかもフランスの「左派連合」とおなじ過ちをしたいらしい。
カナダでは、来年秋までに総選挙があって、こちらは政権交代が確実だ。
反トランプの権化と化した英国労働党政権は、日本の自民党と共闘しながら、「トランプ氏を国賓で招く」と発表し、まさかの暗殺も想像させる不気味さがある。
いよいよグローバリズムと反グローバリズム(ナショナリズム)の対決の年がはじまるけれど、反グローバリズムが標榜する「リバタリアニズム=経済自由主義」が、じつはグローバリズムに向かうことのメカニズムをしれば、「波動」のブレが致命的かもしれない懸念がある。
この混沌は、思想の整理ができていないことに原因がある。
個人の「幸せ」とはなにか?
『青い鳥』を探す旅がはじまったのである。
よい新年をお迎え下さい。