economyを「経済」と翻訳したのは、『論語』より古い古典の「経世済民」からとったのをいう場合と、江戸期の儒学者のひとり太宰春台がとなえた『経済録』をいう場合とがあって、意図からすれば太宰の説をもって語源とすることが多いようである。
これから、「国民経済」という概念がヨーロッパから舶来品として輸入されて、和魂洋才のひとつとなったのではないかと推測する。
しかし、バブルの浮かれた気分をもって「和魂」を完全放棄した日本人は、「洋才」だけに依存して、売国をふつうに冒しても選挙で落ちる憂き目もなく、国民の無関心がこれを増長させていまに至っている。
政治は汚いものだから一般人は近寄ってはいけないという大宣伝で、潔癖症の国民を遠ざけたのは、「女性に選挙権付与」に対する大反対をして、シャンゼリゼ大通りを埋めた当時の女性たちと同じ理屈なのである。
それは、子供を産む神聖なる女性に、政治などという浮世の汚泥をかぶせるな!汚いことは男がやれ!だった。
こうした宣伝活動を担ってきたのが、「経済新聞」を名乗る機関であって、一般紙の『朝日』、『読売』、『毎日』よりも、よほど日本人の脳にダメージを与えてきた罪は重いとかんがえている。
その意味で、この「新聞」を装った印刷物を「よくよむ」と、経済音痴になるばかりか世間しらずになることまちがいない。
それでしっかり真面目に読んでいる、高級官僚は、その頭脳の単純さゆえに、まったくもって全面的に信じ込んでしまうという恐るべきことが起きるのである。
ここでいう「高級官僚」とは、企業内官僚も含むので注意がいる。
それで、バブルの頃から「成果主義」とか「実力主義」といった言葉が、あたかも「年功序列制」を破壊するためのプロパガンダ・キャンペーンとして、大学生の就職活動インタビューで飛び交い、無邪気にも彼らが「実力主義の企業を志望する」といえばキャンペーンに沿った発言として持ち上げられたのだった。
しかして、日本企業は、植木等の映画がヒットしていた頃からも、しっかり「実力主義」だった。
なんとなく昇格する年功序列の限界を突破し、同期や先輩たちを抜き去るには、相当の努力を要したと同時に、トップ層から好まれるという絶対条件も同時に満たさないといけなかったのである。
だが、世がグローバル化の洗礼を受けて、様相が変化する。
当たり前が忘れられて、あたかも高級な理論が先になった。
ために、経済の本質が「生産」と「生産者」にあることを無視して、計算根拠がない「サービス」にも価値があるかのような錯覚に陥った。
バブル後の不良債権処理における「ハゲタカ」の活躍が、あまりにも鮮烈だったのは、ここまでの「虚業」の活躍を日本人は見たことがなかったからである。
「銀行員」というエリートはいたけれど、どこか頼りげのなさがあったのは、それが虚業のカネ貸にすぎない、という「実業」からの蔑視があったからでもある。
かならず担保をとったので、銀行を「質屋」といって揶揄していたけど、バブル後にも金融庁が不動産担保を要求したので、お上お墨付きの質屋になった。
だからむかしは、経営者のことを経営者とはいわずに「実業家」と呼んでいた。
ここに、虚業家が入る余地がなかったのである。
生産者をいじめ抜いたら、とうとう米不足になったが、政府はなんと気候変動のせいにした。
前年の作柄指数が「101」でも、天候不順のための不作だとマスコミに宣伝させたのである。
レジ袋を法律を変えずに省令改正だけで有料にする暴挙をやってのけた総裁候補の若者が失脚しないのは、有料化で儲けた小売大手が支えているし、コメでまた儲けさせてもらった恩を返せと迫られているのだろう。
農家の票より流通・小売の票が優先されている。
しかして、このおそらく知能の低い人物は、作り手がいなくなることの大災害に思いをはせるだけの頭脳がない。
そんなオオボケたちの集団が「エリート」だとして、世界中の国々で混乱を引き起こし、農民一揆やらデモ隊と衝突しているのである。
これをメリトクラシー(能力主義)が理想とした、不平等社会の終焉といえる。
強者が弱者から収奪する、ヨーロッパ貴族の伝統が、いよいよ行き詰まってきた。
カネさえ出せばなんとかなる、という富裕層も、モノがない恐怖を想像できない。
ないものはどんなにカネを積んでもないし、その逆もまた真なのである。
ない袖は振れぬと、むかしの日本人の方がこれをしっていた。
つまり、ここまできて、弱者と強者が逆転しようとしている。
生産者が強くなる時代がそこにある。
トランプ政権が繰り出すかしらないが、「株主優位」の体制を崩壊させる法案を議会に作らせるのではないか?
それが、RFK.Jrにやらせているビッグファーマの解体作業を嚆矢とするかもしれない。
新薬で儲けるために何人被害者が出ようが知ったことではない、という不条理への鉄槌である。
だから、経済のサービス化の時代も終わって、経済の実業化時代が始まるとかんがえれば、サービス業はなんらかの生産物と直結しないと生き残れないのではないか?
その典型が、食料だろうし、衣料なのだとおもわれる。