自然科学なのにウソをつく

Natural Science(自然科学)に対して、Culturel Science(人文科学)や、Social Science(社会科学)があって、数学などの基礎科学は、別に理学(Science)という。

碩学、小室直樹は終戦後の日本(人)を「急性アノミー」だと診断した。

「アノミー」とは、フランスの社会学者デュルケームが最初に用いた用語で、「社会規範が弛緩・崩壊することによる無規範・無規則状態」をさす。

たとえば、戦後の「愚連隊」もその現象のひとつかとおもわれる。
とくに、学徒出陣で生還した若者が陥ったのは、責任と緊張が一気に解放されたからだろう。
それでそのまま、高等な「経済ヤクザ」になっていくひともいた。

これを学者の世界で告発したのが、小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉』である。

名前を挙げれば、吉本隆明、丸山真男などの戦後知識人たちの戦前・戦中からの「転向」を告発している。
つまり、彼らが戦前・戦中になにを語っていたか?の検証によって、あえていえば、「アノミー状態」がしれるのである。

それゆえに、養老孟司先生がいみじくも告白した、「自然科学の道」を目指した無言の若者たちの心情とは、「自然はウソをつかない」ことへの潔癖性なのであるし、裏返せば、理学を含む自然科学以外はウソをつくことの嫌悪であったという。

ようは、人文科学や社会科学は、理屈をこねてウソをつくのである。

これが、戦時中から続いてわが国の「科学技術大国=ものづくり大国」の発展を促した原動力=エンジニアたちの本音であった。

しかし、要素価格均等化定理をそのまま受け入れて、海外生産にシフトするはめになったわが国製造業の衰退は、「手仕事ニッポン」の基礎を蝕んで、とうとう学位の数でも新興国にかなわない状況になってしまったのである。

この先何人かはノーベル平和賞と経済学賞以外のノーベル賞をとれるかもしれないが、それこそが「慣性の法則」によるタイムラグというもので、どこかの時点から先に受賞者がでることはないのではないか?と予想する。

この残念な予想には、もうひとつの根拠があって、それがたとえば、脱炭素、なるエセ科学に対する正面からの批判がなくなったことに由来する。
つまり、自然科学が、人文科学や社会科学にいつの間にか敗北したのである。

これをもって、科学技術大国=ものづくり大国と、恥ずかしくていえないから、観光立国なるありもしない偽目標を人文科学と社会科学の連中が掲げざるをえなくなったのではないか?

つまるところ、自然科学の自殺行為なのであるが、これを教唆し、援助しているのが、人文科学や社会科学の専門家たちなのである。
すると、自然科学の分野で、一般人にはみえない「アノミー」が発生している可能性が高い。

いわゆる「アカハラ:アカデミックハラスメント」が学内で起きることの原因がこうしたアノミーだとしたら、わが国政界の大混乱とは別に、解決困難な病理が学問分野に蔓延しているということなのである。

これは国内に限らない現象で、アメリカの名門大学をトランプ政権2.0が糾弾しているのも、おなじ理由による。

つまりその元凶が、グローバリズムによる世界統一の全体主義なのだ。

世界で反グローバリズムの闘いが起きていることの意味は、深い、のである。

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