世界帝国を築きながら、なぜに英国は極東の弱小国家・日本に優しかったのか?
あたらしい植民地経営の方法を、日本で見出したからとかんがえるのが合理的で、国力の差がありすぎなのに、あたかも対等な、「日英同盟」とは、いまさらながらに笑止なのである。
では、英国がおもいついた「あたらしい植民地経営の方法」とはなにか?
おそらく、英国流の教育を日本人の若者にさせて、「洗脳する」ことでの時間をかけた方法と、金融の力による「借金漬け」の両方からコントロールすることではないのか?
一見スマートだが、下心は邪悪な儲け主義である。
経済学の父である、アダム・スミスの主張が「切り取られた」ことも、当時の英国人がフェアではなかった証拠だ。
彼の生涯に二冊しか出版されなかった、『道徳感情論』と『国富論』のうち、『国富論』の中でも「見えざる手」(しかも「神の」はつかない)しか引用せず、その論の前提になる『道徳感情論』を無視するのは、明らかに恣意的なのである。
そんな英国に留学した最初の被害者が、夏目漱石ではなかったか?
彼に「神経症」を発症させて重くしたのがロンドンでの生活だったことは、もっと日本人が気づいていいものだが、なんだかいまだに「個人の資質」の話にして、あたかも漱石の人格問題にしている。
だが、夏目漱石の英国嫌いは生涯にわたったのである。
その逆が、日本で暮らした英国人の生活における「快適」が多数残っている。
たとえば、英国外交官夫人、キャサリン・サンソムの『東京に暮らす:1928~1936』がある。
夏目漱石と対比すれば、あまりにもギャップがおおきいのである。
英国留学の嚆矢といえば、「長州ファイブ(五傑)」である。
・ 井上聞多(馨)、
・遠藤謹助、
・山尾庸三、
・伊藤俊輔(博文)、
・野村弥吉(井上勝)
彼らの面倒をみたのが、アヘン商人のジャーディン・マセソン商会で、さらに横浜の日本人支店長の吉田健三こそが、吉田茂の義父というつながりがある。
これらはみな、英国の代理人となるのだが、その後の米国つながりも、やはり、「留学」によって培われるのである。
米・英の両国で人脈を築いたのが、密航に失敗し船長の奴隷として売却された経験をもつ、高橋是清である。
それで、彼は、日露戦争の戦費調達で英国のロスチャイルドを頼り、この借金を日本が完済するのは1986年(昭和61年)のことだった。
けっきょくのところ、英・米の大学に留学して、学位と卒業学校名を買う行為とは、向こう側の洗脳の「代償」となるから、なんとアダム・スミス的ないいことはひとつも学ばない「大損」なのであるけれど、これを「ブランド力」という一般人への洗脳で、あたかも「優秀さ」のレッテルを買っているのである。
そんなわけで、英国人だろうが、米国人であろうが、はたまた日本人であろうが、彼らの「主流派=邪悪な学問=社会主義礼賛」を擦り込まれるので、国家運営者になったら、その凋落が止まらないばかりか、凋落を推進することが職業的倫理へと変容したのである。
アメリカは、トランプ政権2.0によって、先んじて脱退を試みるが、英・日の凋落は、いまや競争的な状態になっている。
少しばかり、英国の方が悲惨だが、しっかりわが国も追随している。
こればかりは、「寝正月」とはいかないのである。