1969年の東京オリンピック開会記念日(じつは紆余曲折ある)だった「体育の日」をより安逸な「スポーツの日」としたのは、2020年(令和2年)からであるがその前の1998年(平成10年)の祝日法改正(2000年:平成12年施行)によって、10月の第2月曜日へと、日付が変更されている。
これは、「ハッピーマンデー法」なる「国民の祝日に関する法律の一部改正」1998年(平成10年)10月14日成立(小渕内閣)による。
「飛び石連休」が激減した理由がこれだ。
ひっそりと、「3S」政策を強化した、といえる。
さて、作務衣と足袋を揃えたら、こんどは草履がほしくなった。
どんなアルゴリズムかしらないが、そんなかんがえが浮かんだすぐさま、なぜか草履の紹介がネットに現れたのである。
断面が三角の草を用いているのは、国内でも珍しいという商品紹介で、まったく「パピルス」に見えた。
ナイル川の川畔に茂る葦草の仲間であるが、エジプトでも近年では珍しくなりつつある。
ふつうのイグサに比して数倍もの強さがあるというけれど、最古の「紙」として用いた古代エジプト人の執念を感じるのは、わが国の「紙漉き」とはぜんぜんちがう、薄くスライスした茎を縦・横に並べて「編む」おおまかな布づくりなのである。
大分県から届いた草履をさっそく下ろして履いてみた。
子供の頃の夏休みには、ゴムぞうりを毎日履いていたのに、いつか鼻緒が食い込んで指を擦りむいて以来、ずっとご無沙汰していた履物である。
今回は、足袋が指をカバーしているけれど、「履き方」よりも「歩き方」を忘れている自分に気がついた。
踵から着地する、「靴」の歩き方ではうまくない。
そういえば、YouTubeで、「文明開化」から戦後の日本人は歩き方も奪われたという内容の動画があった。
和装における歩き方の基本は、前重心で骨盤をつかい、インナーマッスルを上下運動させるのである。
これがはた目に、相撲の運動に似ているとの指摘があるが、正確には上に書いたように、インナーマッスルを上下運動させるために、腕と足の左右の動作が一致するようにするのがコツなのである。
上下運動といっても、頭も上下に動くことはない。
駅までの道中で、かなり運動した感があるのは、慣れない草履が気になるだけでなく、「歩き方」そのものが、靴を履いたときとまるでちがうので、おそらくふだん使っていない筋肉たるインナーマッスルをうごかしているからにちがいない。
履物屋さんの動画を観ると、草履も下駄もどうやら同じ歩き方が前提で、戦国時代の武士が履いていた「足半(あしなか)」という前半分だけの草鞋(わらじ)が機敏さを確保できて重宝されたという。
一方、雪駄の歩き方は、踵の裏に金具をつけて、「チャラチャラ」音を出して歩くのが「粋」だということになったので、草履や下駄とはちがう歩き方となる。
それで、「チャラい」という言葉ができたが、いい家の人からは煙たがられたのであった。
前に同級生が語ってくれた、彼の父君が山梨の田舎に帰省の際、下駄を履いて山道を上がって峠を越えて、反対側の友人宅を気軽に訪ねていた話を思い出した。
いまは整備された国道があっても、とてつもないアップダウンである。
この旧道を下駄でいく脚力に驚いたものだが、正く履けてふだんからのインナーマッスルの使い手ならば、当時、驚くには当たらない行動だったに違いない。
さては草履を正く履いて、正しく昔ながらの歩き方を習得すれば、それだけでいまよりずっとなまくらな体が鍛えられること間違いなしだと確信したのである。
ところが、「履物屋」も絶滅危惧種で、売りたくとも作る職人がいなくなっているのは、「小千谷縮」とおなじなのである。
ただし、「履物屋」のビジネスモデルは、未完のパーツを組み立てて「商品にする」ことにある。
草履も下駄も、いまが最後の入手可能性となっている。