昭和の高度成長期、当時の若者たちに「ニヒリズム」が流行した。
あたかもそれは、いまどきからかけ離れた、「男らしい」とか、「いぶし銀」あるいは、「孤高」といったイメージであったかと記憶している。
だから、何気に「ニヒル」といえば、褒め言葉だと思っていた。
しかし、「ニヒリズム」とは、「虚無主義」のことで、ニーチェの鋭い指摘を意味した。
その鋭さとは、「(キリスト教の)神は死んだ」という、発見だったのである。
人間社会の規範とは、宗教が創り出すものだという人類学の常識がある。
西洋から中東には『旧約聖書』からの宗教があって、インド、中国、日本にはそれぞれ独自の宗教がそれぞれの規範をつくっている。
西洋人のニーチェが西洋の規範の元にあるキリスト教をもって、「神は死んだ」と断定したのはしっかりとした理由があってのことだから、ニーチェはいまだに偉大な哲学者との評価がある。
規範の元の宗教喪失は、西洋を虚無主義におとしめる、というニーチェの結論が、いま、現実のヨーロッパで起きていることの原因なのである。
もちろん、アメリカでも同じくキリスト教の神は死んだ(バイデン民主党をみよ)のだが、共和党トランプ派というピューリタンからの流れが、最後の抵抗をしているのである。
そのトランプ氏を支え暗殺されたチャーリー・カーク氏も、熱心なキリスト教信者だったのは偶然ではない。
また、ユーラシアにあってヨーロッパではないロシアでは、「正教」がいまも生きている。
つまり、トランプとプーチンの親和性とは、キリスト教の「神を死なせない」、という点での一致があるためのことなのである。
これを、西洋では「保守」という。
かつてピューリタンを追い出した英国の、いまの悲惨は、まさに虚無主義の祭典状態だからだ。
極左・労働党スターマー政権どころか、エリザベス2世亡き後の初代ウインザー朝国王チャールズ3世のイスラム志向がそれだ。
驚くなかれ、労働党の本質的な経済概念は、「(古典的)自由主義」だったのであるし、「保守党」の前身たる「ホイッグ党」は、「英国国教」の信者たちであった。
しかして、わが国は、GHQによって明治期に発明し構築・育成して、歴史的成功をおさめた、「日本教」の祭主・主教たる「現人神=天皇」に、無様な「人間宣言」を強制させるをもって、わが国でも「神は死んだ」のである。
このGHQによる暴挙に、三島由紀夫が「などてすめろぎは人間となりたまいし」と嘆いた視線の先にあったのは、あろうことか野蛮なヨーロッパとおなじく日本もニーチェのいう虚無主義に堕ちることの絶望なのである。
40年ぶりとなった秋篠宮悠仁親王(第二位皇位継承者)の成年式をないがしろにする報道にも、虚無主義が隠れているし、皇室典範にはない愛子内親王の皇位継承をいうのは、皇室分断の不敬にあたるともいわないしこれに気づかない一般国民も、しらずのうちに虚無主義に汚染されている。
トランプとプーチンが、蟻地獄のような虚無主義と闘っている最中に、わが国では、もっと落としめんとする勢力がまさっているかに見える。
その世界潮流が、国連を主軸とした、SDGsや脱炭素、LGBTQや夫婦別姓などの家族解体諸政策だし、それに基づくWHOの存在がある。
核家族主義の欧米とちがって、ロシアや日本それにドイツは大家族主義だから、虚無主義=グローバル全体主義の「敵」なのだとしることも重要である。
それゆえに、これら三国にはそれぞれの国民特性に合わせたあらゆる方法で攻撃されているのだおもえば、納得もできよう。
また、英・米・仏といった、個人主義の国には、上記三国とは別のアプローチで攻撃がおこなわれている。
『7つの階級』で詳細がしれる複雑な身分制度が深く残る英国は、もはや陥落寸前=滅亡の淵にあるし、ただいま発生中のフランスでの大規模な「反マクロン政権デモ」も、虚無主義の政府からの伝統破壊攻撃への民衆の激しい抵抗という構図になっている。
ニーチェは、虚無主義の先に、「あたらしい価値創造」を訴えたが、それが簡単ではないための抵抗なのである。
こうした抵抗を、世界で実践しているのが、トランプ政権2.0とアルゼンチンのミレイ政権である。
そのミレイ政権は、実妹の製薬会社からの収賄疑惑で大揺れしている。
階級やら身分制度がいったんなくなった日本こそ、じつはもっとも有効に抵抗できる環境にある。
これが、現代日本の復活の最大の期待となる根拠なのである。