行き先不明の公明党と立憲の新党

戦後の昭和から、わが国では珍しかった「近代政党」の一角をなしたはずの公明党が、大迷走をしているようにみえるので、組織論からの勝手な解釈を書いておく。

なお、近代政党の定義は以下の3点が同時にぜんぶ満たされていることが条件だとあらかじめしっていないといけない。

・「綱領」があること
・「議員」がいること
・「党員組織」で活動していること

近代政党ではない、自民党には、三つ目の「組織がない」点で欠格する。
自民党の組織とは、議員や候補者が独自に運営している「後援会」をさすので、党員による組織とはほど遠いのである。

よって、自民党を別称で「自分党」と呼ぶ根拠となっている。

また、「議員」には、政策スタッフがつくことが必要であるが、それはまた党員であることが望ましく、さらに、党には政策シンクタンクがあって、そこの研究員からスタッフになることが重要である。

ここまで完璧な政党は、大正デモクラシーからこのかた、わが国にいまだ存在しないが、近いところに公明党と共産党があったし、ここ数年で参政党が唯一の「完全型」を目指すと公言・標榜している。

高市政権による、通常国会冒頭解散が確実になるにつけ、15日、公明党と立憲民主党が合併して新党をつくることがニュースになった。
この前に、立憲民主党の原口一博元総務大臣が、「分党宣言」をSNSで発表して、事実上の党分裂がはじまったのである。

ときに、公明党は、なぜに自民党との連立を離脱したのか?

ことの真相は不明だが、支持母体たる宗教団体・創価学会の衰退とこの組織の求心力の弱まりが遠因であることはまちがいなかろう。
カリスマ指導者だった池田大作氏の死去で、中心を失ったことの回復がそう簡単にできないのは、この手の個人崇拝をする組織の「あるある」だからだ。

驚異的な経済成長率達成していても、まだまだ日本が貧しかった昭和30年代から創価学会は成長をとげる。

このときから、池田大作氏が組織の中心を形成するが、その教義は「現世利益」なのだ。

つまり、社会としても現世利益を実現していた時代の大波に「乗った」ともいえて、宗教だけにどんなに現実社会が不況になっても、曲げることができないから「教義」なのである。
その教義=戦略のために、信者のエリートを役所に送り込みながら、野党から与党になることでの「現世利益」追及をやめなかったのは、信心だけでない合理的な行動であった。

ところが、教団組織と政党議員の乖離がはじまったとおもわれる。

これは、連合が支持するのに、民主党が、立憲民主党と国民民主党に分裂し、さらに、それぞれの政党が連合の希望通りにはならないのと似ている。

あたかも、「法皇」にある白河院政で、「ままならぬ」といったこととソックリなのである。

鴨川の水の流れ、すごろくのさいの目、比叡山の山法師。
ことに、法皇に従わない山法師と、連合と政党の関係のことである。

しかして、創価学会と公明党も、おなじ事態になっていないか?

すると、これを組織論で考察すると、組織マネジメントが壊れだしている、と観るしかない。
だとすれば、トップの問題だけではなくて、もっと深刻なのは組織内の「中間層」がバラけてどうかしだしたとかんがえるのが妥当なのである。

おそらく、トップが目指すなにかと、中間層の目指すなにかの齟齬が亀裂となって顕在化しているのだろう。

これを、かつてのカリスマのやり方をそのままに、上から目線で強権的に解決を図れば、亀裂の溝はより深くより広がって、収拾がつかなくなるのも、よくある愚策の例に山ほどある。
つまるところ、この当事者たちは、こうした人類の歴史をしらないし、人間のもつ心理に対する知恵もないことを国民に見せていることにも気づかない。

まことに、安易な時代の、今様、の出現なのである。

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