ご賛同いただける方には、是非ご協力をお願いしたい。
それにしても、このような「請願」をしないと、動かない国になったことを、誰に請願すればいいのか?がわからなくなった。
女史による「事故原因」とみられる、複合的な問題の指摘は、次の5点に集約できる。
⑴ 海保側の管制マニュアルが更新されていない可能性
⑵ 最新のトラスポンダ(位置識別装置)が、予算不足で海保機に搭載されていなかった
⑶ 管制官が、聞き間違い防止のための「Hold short of」という用語を用いていない
⑷ 常時レーダー監視する専門員が予算不足で不在だった
⑸ 事故待機場所、「34R」にストップ・バー・ライト(非常時警告灯)が故障のままだった
ようは、これら5つの問題が、同時に発生したことが、事故原因だと考えられると、女史は発信しているのである。
しかし、これらは「安全管理」上、ぜんぶが、「ありえない」部類になって、その管轄は、ぜんぶ、国土交通省に集約できるものなのである。
海上保安庁も、航空管制も、さらに、羽田空港施設の設置も、国土交通省の管轄なのである。
事故というものは、たいがいが、「まさか」から発生するので、その「まさか」を事前に想定して現実化しないように予防する措置をするのが、「安全対策」である。
すなわち、国土交通省は、省をあげて、「安全対策を怠った」という、もはや業務上過失致死を、「組織」として適用されてもおかしくないのである。
それを、唯一生存した海保機長ひとりに責任をおしつけるのは、もはや組織的な隠蔽で、その罪深さは、もっとこの役所への刑事罰をどうするのか?に発展しないといけないレベルだ。
こんなこにとなったのが、今回の事故であって、「被害者遺族」からの目線なら、国土交通省の職員たる海上保安庁の5名もの職員が、殉職してしまったのを、せめて「労災」にすべきではないのか?
JAL機側に死者がなかったのは、国土交通省が指導している安全基準を守ったからで、まことに、国土交通省のお粗末は、他人に厳しく自分に甘い、およそ「行政指導」も今後バカにされるような失態を犯したのに、責任者が空とぼけているのは、国民として怒りを通り越してしまった。
悪い予感がする、東京都知事の警視庁への介入疑惑が、公明党への支持取り付けとバーターなら、もっと酷いことが、サイコパスを選んだ都民の前で行われていることになる。
とはいえ、これらへの怒りと不安を飲み込んで、事故防止という現実に立ち返れば、いつ自分も羽田だかどこだかの飛行場で、似たような事故に遭遇するともかぎらない。
この意味で、深田萌絵女史の「請願運動」の開始行動は、あっぱれなのである。
次は、何人の署名を集めて、それを国会議員の誰が受理して現実の予算化を果たすのか?という順でのチェックとなる。
それもこれも、国民が個人がチェックすべきことではあるが、深田萌絵女史が発信してくれるだろうけど、マスコミが無視するのも「見もの」となった。
むかし、カンボジアだかの「選挙監視」で、国際協調したことがあったけど、残念ながら日本人民間ボランティアのひとがお亡くなりになるという、激しい選挙という名のテロがあった。
このとき、日本政府の高官が、「(犠牲者が)民間人で良かった」と失言して、問題になったことを覚えている。
もしも役人(あるいは自衛隊員)だったらもっと責任が重くなる、という、鬼畜の発想をしたのであった。
このときは、あたかもこの高官の人格的問題だとして片づけられたが、いまや、組織が絡みで、そのトップが、選挙で選ばれた国会議員が複数人も務めているのである。
すると、わが国の「議員内閣制」は、本家英国でもおかしくなっているように、どうにもならないところまで腐っているとしかいいようがない。
もはや国会で機能しているのは、国会図書館だけになってしまったけれど、議員の数の多寡を議論するのではなくて、国会の機能不全をなくすための議論をしてほしいものだけど、与党はこれに乗らないのは、いまのままが都合がいいからだ。
あゝ、選挙が待ち遠しい。