ここでいう「観光地の破綻」とは、通常の、「客が来ない」ことを理由とする破綻と、「客が来すぎる」ことによる破綻の二種類の意味がある。
ちがう角度からいえば、なにかと話題の静岡県伊東市(温泉観光地だと自認している)の市長選挙での争点は、「図書館建て替え」というワン・イシューであった。
市民は、これに反対する候補を選んだが、その候補の学歴詐称がみつかって混沌としているのである。
地方の図書館には二種類の機能があるとおもわれる。
ひとつは、都会の大図書館に負けない蔵書数をどうするか?で、規模的にも予算的にも無理があるから、どんな図書を揃えるのか?という蔵書選択の難易度が高いことがまずあるだろう。
そして、もうひとつは、地元の郷土史やらをはじめとする、さまざまな地元情報のコレクションであって、これは他の地域では扱わない地場だからのオリジナルあることだ。
しかし、人間には「灯台もと暗し」の習性があって、あんがいと地元民は地元の情報に興味が薄い。
これはこれで、家 → 町内 → 市 → 県 → 国家 といった生存範囲の認識をもたせないという、戦後の日本国家の教育方針もおおいに影響しているとかんがえられる。
つまり、わが国は、GHQの申し送りを律儀に守る「反日国家」として80年間を過ごしてきたのである。
だから、伊東市のこの選挙結果は、政府の方針通りに育った(家畜化した)伊東市民が、図書館の重要性を認識しないまでになったという、文科省からしたら表彰ものの事態が現出したのに、なんと学歴詐称というオマケで、その効果宣伝ができなくなってずっこけたのである。
なぜにこのような話題を「観光」の議論でいうのかといえば、地方の図書館における地場の情報こそが、知的観光のもっとも興味深い資料だからである。
モータリゼーションで自動車が普及する前の時代、いまでは近距離の隣どおしの町や村でも、その暮らしぶりにハッキリとした違いがあったのを探るのは、なかなかにスリリングなのだ。
書店でもおなじだが、アクティブな検索とパッシブな検索の二種類がある。
アクティブな検索とは、アマゾンで書籍を指定して購入するのと同じく、著作者や書名検索で蔵書の有無をしることだ。
パッシブな検索とは、書棚を巡って、どんな書物があるのかを見て回るもので、意外な発見があるのはこちらの方となる。
もちろん、そんな意外があるのは、ジャンルも意外な書棚に区分されていることがあるからである。
この意味で「書誌学」の専門家を図書館に配置することも重要な人事となる。
一般に観光客は、ある地域を選ぶと、基本はパッシブな観光をしながら、スポットでのアクティブな検索先を選んで廻るものだ。
しかし、このとき観光客それぞれの知的水準によって、発見する対象がことなる。
これが、なんとなく国籍別で区分すると、おおくのひとがもつイメージに近接するであろう。
ところで、観光といっても政府の観光政策というものは、バブル前まではあまり話題になることもなかったほどに、たいしたことはなかった。
観光庁が発足したのは2008年(平成20年)のことである。
何度も書くが、この国の政策は「産業優先」という原則をいまだ崩していない。
なので、観光庁が存在するのは、観光客のためではなくて、観光業のためなのである。
ましてや、観光地に住まう住民のためであるはずもない。
本来、住民のためにあるはずの地方自治体も、観光庁という国の機関からでる観光業のためのカネにまみれるので、住民がそっちのけにされるのは仕組み上からも当然なのである。
おそらく、伊東市の敗北した現職市長は、国家的にもっとも低い優先レベルの住民サービス向上のなかにある、さらに優先レベルの低い知的サービス分野における図書館の建て替えをあろうことか争点にしてしまった、のである。
これが、郷土資料収集と研究が知的観光に役立つとアピールしたら、どうなっていたのか?が気になるのである。
それでも、おそらく愚民化した市民の琴線に触れることはなかったのではないか?
文化行政でもっとも重要な施設は、たとえば立派なドイツ製パイプオルガンが鎮座する文化会館ではなくて、蔵書の内容が濃い図書館である。
いまや、このようなことにも気づかない者たちが「市民」といわれている。
かつて『細うで繁盛記』で、一世を風靡した熱川は、伊東市から南の地にあるが、かつての旅館・ホテルの9割が廃墟と化した悲惨な光景が観光資源になるありさまになっている。
この地にある、「東伊豆町立図書館」の郷土史やら地元資料の貧弱は、温泉だけの情報でも満足感をえることはできなかった。
おそらく、東伊豆町は、行政として温泉街のテコ入れに大金をつぎ込んだであろう。
それがどのような逆効果だったかは、いまの無惨をみれば明らかであろうが、予算計上にあたっては、県や国からのカネをあてにするための「専門家」にも、ずいぶんなアドバイスを有料で受けたにちがいない。
すると、これらの専門家とは何者であったのか?が、これから歴史の検証を受けることになるのではないかと疑っている。
ならば、当時の議事録が図書館だか町議会に残っているとおもうので、怖いもの見たさでみにいくのも知的観光なのである。
そんなわけで、公的な観光政策の軽さが、全国各地で観光の失敗を呼んでいる。
「客が来ない」と「客が来すぎる」は、どちらもその安易な観光行政の失敗そのものの結果なのだが、ぜったいに誰も責任をとるものはいないという共通もあるのだった。